タミを100年ぶりに風呂に入れた。
案の定、発狂していた。
でもまあ、ちょっとはフケが出なくなっただろうから、よかったでしょう。多分。
そのあとずっと怒ってる感じだけど。

午後、新宿でバッグ買い。
残念ながらキャビンゼロは2軒ほど回ったが結局現物を確認出来ず。ネットに載っている在庫情報が古いものだったみたい。あと1軒、と思いつつもうめんどくせーのであっさりモンベルに決定。金額が倍になってしまうけど、まあしょうがない。デザインも、ちとアレだけどまあいいでしょう。と言いつつもやっぱりバッグフェチとしてはワクワクを隠し切れず、「あ、すぐ使って行きます!」とタグを切ってもらって手持ちの荷物をボンと突っ込み、(多分)ニヤニヤしながら店を出た。

夜はA氏とボデギータ呑み。
先日のライヴで身の程を思い知ったので、今日はスチルカメラを持参して、設定の仕方を一から教わる。マニュアル読んでも何が何だかわからなかったのに、彼の説明を聞いてると、なんだかイケルような気になってきたよ!流石プロ!
その後はもちろんキューバトーク。
グーグルマップを位置をずらしずらし20回以上プリントアウトし、セロテープで貼り合わせた力作・特製・特大ハバナ地図をテーブルに広げ、いわゆる観光名所じゃない名所を教えてもらう。
1時間ほど話していると、シローさんが帰ってきた(って言わねえか)のでそのまま参加してもらって更に素敵スポットを教えてもらって地図にカキコカキコ。
こういう時、やっぱり紙の地図が最強なのである。流石俺様。
話が乗ってきたところで『Soy Cuba』のDVDをモニターで流し、「これは、この辺だね!」とロケ地情報。どんどん地図上のマーカーが増えていく。これ全部行けるのか?どれだけ歩くんだ。
基本的に、今回は腰が許す限り歩きたい。タクシーもバスも乗るのは楽しいのだろうけど、ひたすら「なんでもない」道を歩きたいのだ。
あくまで腰が許す限り、なのだが、それよりもっと危険なのがビール。どこまで呑まずにいられるのか。それが今から不安でならない。
なので今日めいっぱい呑んでおく。
ちなみにお店では別口でスペイン語講座?が行われていて、けっこう我々(&DVD)が騒がしくて迷惑をかけていたように(今頃になって)思う。今更ですけどすみませんでした。
22時解散。
メルシー、デザミ。

バロンと世界一周楽団 @ 吉祥寺曼荼羅Ⅱ。
『Cu-Bop』の高橋監督の話に刺激を受け、かつキューバ行きの荷物を減らすため、今日はスチルカメラでの動画撮影に初挑戦。今まで真面目に考えたこともなかったので、外付けマイクもなく、とりあえず内臓マイクでどんなものか、失敗前提で撮ってみることにした。
まずは昼の部にウクレレメイトのロビンちゃんと観戦。申し込むのが激遅で立ち見だったので、軽く静止画を数枚。
そのあとロビンちゃんとコーヒー&駄弁りで時間をつぶす。また色々愚痴ってしまった。すまん。
解散後、一人でアウトドア屋巡りをして機内持ち込み可能のバックパック探し。数軒回ってみたけど、目当てのキャビンゼロ44ℓは残念ながら見当たらず。その代り、モンベル(って読むということを初めて知った。ずっとモントベルなのかと思ってたわ)45ℓというものを発見。値段も重量もキャビンゼロには劣るが、イメージとしてはこれでオッケー。ショルダーストラップのパットが比較的しっかりしていそうで、横にして肩がけも出来るというのになんとなく惹かれる。
なんてことをしていたらすっかりいい時間になっちゃったので再び曼荼羅Ⅱへ。
昼の部の立ちっぱなし、そのあとの歩き回りで腰痛悪化、それにともない気持ちダウン。いわゆるウツ&ヨウツー状態で開場待ちの時間がツライツライ。もう帰ろっかなーもういいかなーっなんてずっと考えてた。
そして開場してから一時間。必死にテンションアップをはかる。我ながらもういーかげんにしてって感じだ。
もちろん始まっちゃうとそれどころでなく、必死。とにかく必死。
ヴィデオカメラの時も、あまり意味がわからず感覚でいじって好みの質感に持って行っているだけなので、スチルでの設定を同程度(少なくとも自分の好みに合わせる程度)にするなんて論外。しかも普段はモニターで(顔から離して)撮っているけど、今度はそうもいかない。静止画でピントが緩いと使い物にならないのでずっとファインダーを覗いている。となると撮れる角度が限られる。ましてや腰痛いし。
更に言うと、ズームなんて夢の夢。あれって、右手でしっかりホールドしてるから左手で回せるのね。でもムービーと違ってスチルカメラって、右手のホールドがどうしても弱くなっちゃう。そこでズームを変えちゃうとあっという間に画面がブレる。
いやいや、これでどうやって動画なんて撮れるの?
実際、『Cu-Bop』では気付いた限りではズームを使っていなかった。
で、帰宅後さっそくずうずうしくも監督に質問してみた。
そしたら、「僕はズーム使いません。キライなので。もっぱら単焦点です。」ぐわーん。
さらに使っていた機種を聞くと、あ、これじゃ無理だね確かに。ってことがしっかりくっきり分かりました。動画には動画用のカメラを使うべきなんだね。
やっぱこれはアレだ。写真を撮るためのキカイなんだわ。
でももう今更カメラを二つ持っていくという選択肢はないので(多分初日で腰が破壊されると思う)、意地でもこの一台で行きます。そもそも動画を誰に見せるわけでもないしな。

とまあそんなわけで、心身ともにボロボロになってそそくさと吉祥寺をあとにしました。
バロンと世界一周楽団のみなさん、実験に使わせてもらってすみませんでした。
ちなみにライヴはサイコーでした。
バロンのソングライティングが、前作より更に深化していっている印象(まだアルバム聴いてないけど)。そしてそれをどこまでも広げていける演奏。ああ、だから世界一周なんだ。
すげえバンドだよ。
それから、八木橋さんがハムバッキングのテレキャスってのにちびりました。実際それが活かされる、というか必然である曲がいくつかあって、そんなところからも、ああ本当に広がっているんだなぁって痛感した次第。

photo (facebook)

環境変われば変わるのかな、と思ったけど、やっぱり実家でも朝は非常に悪い、陰鬱な気分に襲われて目覚めた。こりゃもうどうしようもないね。
結局布団から這い出たのは昼すぎ。朝食をいただき、14時頃家を出た。
今日は川越でKの作品展示会。
挨拶して、すわ~っと観て、帰りはのんびり川越観光していくはらづもりだったけれど、他のお客さんがいなくなったのをいいことに、どっかり腰をすえて長居させてもらった。
そのあと街に呑みに行ってあれこれと話をきいてもらった。
Kにしてはめずらしく、ちょっと感情を表に出して、僕の憤った状況に怒ってくれた。
「そりゃ自分が傷つきたくないだけなんだよ。アタマくる。」
状況ってものは、見る側によってまったく違う様相を見せるので、ちょっと偏った話をしてしまったかなとも思ったけれど、こんなふうに言ってくれるのは心からありがたく、アタマが上がらない思いでもある。
な~んか色んな人に助けられてるなぁオレ。やっぱ幸せなんだと思うわ。

いまいち、はっきりくっきりとした決心がついていなかったのだが、先日『Cu-Bop』(とカントクの話)から受けた刺激を無駄にしたくない、との思いで、ゴーインに今日(正確には多分昨日)決めた。
午後(それでもぐずぐずしてて予定より2時間くらい家を出るのが遅れたが)、青山のトラベル・ボデギータへ。
史郎さんに「これくらいの日程でこんな感じの・・・」と話すと、「よしわかった!」と一気にヒコーキを予約してくれ、あれよあれよと確定してしまった。うわー。
というわけでキューバはハバナに行ってきます。思いっきりフリーで観光してきます。
今年中には必ず、とか思っていた。しかも元々何も関係なくキューバが好きだったはずなのに、あれこれあってなんだかフィルターを通してのキューバになってしまって、しかもなんだか昨今のあれこれがあり、もうどう考えてんのオレ、みたいになっちゃって、なんで行きたいのか、今はただの意地なのかとか余計あれこれ考えて悶々としてしまっていた。
もちろんカンケーないんだけどね。でも一回そういうネガティヴ思考の沼に入りこんじゃうと自分のそもそもの感覚が分かんなくなっちゃうのよね。
だからそういうモヤモヤとかどーでもいーじゃん、って感じられるキッカケを作ってくれた『Cu-Bop』(というかホント、高橋さん)にはマジ感謝なんだよね。グラシアス。

夜、上福岡へ。
駅前のファミリーレストランで(僕、朝食だったので)つぐおみとビール&トーク。
思い出話や音楽話、はては昨今のゆがんだ社会の話。尽きない。
19時から始めて、終わったのは0時だった。
また行こう。

深夜、実家へ。
母親もまだ起きていた。もうすぐ寝ようと思っていたけど、「あら、ビール切らしちゃってるのよねー」とクルマで買って来てくれた。「いやいや、あ、じゃ、ありがと」となんとなくしっかり断らずに甘えてしまうのは末っ子だからです。
旅行話やコイバナ、そして父親のはじけた若かりし頃の裏話。そろそろ疲れてきた。
0時から始めて、終わったのは4時だった。
もう寝よう。

池袋のKing Rumというラム酒専門バーにて、『Cu-Bop』の上映イベント。
12名限定ということで、ギュウギュウ感が心配だったけど、席の間隔自体はまあ普通のバーだった(って当たり前か)のでほっとした。
とは言っても店の備え付けのTVモニターに映すので、観易さは席によって圧倒的に違う。少なくとも僕の視力では後ろの方だと確実に字幕を読めなかっただろう。早めに着いて大正解だった。
しばらく客は僕一人だったので、高橋監督や店のマスター原田さんとの駄弁り時間を持たせてもらって、これがまた有意義なひと時だった。地方や海外上映時の爆笑プライベートエピソードや、別の仕事で行った南米の国の笑えないギャグエピソードは、なかなか僕の日常では想像もつかない世界で、早くも満足感を得られてしまった。
20時過ぎから上映(再生)開始。
「なんだか不思議な映画」といった感想を以前耳にしていて、不安も若干なかったわけでもないが、それは完全に杞憂に終わった。観終わった時の満足感は相当なものだった。
補足説明が一切ない作品なので、最初は全体像やそれぞれの関係性がなかなか掴みにくいけれど、映像素材だけで紡いでいくこのスタイルが僕はドキュメンタリーとしては一番好き。頭と忍耐力をフル回転させて、点が線に変わってきてから一気に画面に吸い込まれていく感覚がとても快感なのだ。
実際に観るまでは考えてもみなかったけれど、一番観ながら考えていたのはカメラワークだった(やっぱりそこかい!)。
上映後の質疑応答(あの場ではもっともふさわしくない表現)で、他のお客さんに申し訳ないなと思いつつも、監督もガンガン答えてくれるもんだから、ついついそういうことばかりガンガン質問を連打してしまって、まあはっきりいって大満足。

○通常シーンでは1カメだが、ライヴシーンでは3カメになっていた。現地調達?
●日本からスタッフを連れて行った。ちなみに彼らの移動は自腹。
○3台の映像の質感が全て同じように感じられたが編集で加工したのか。
●違和感が出ないよう自分のカメラと揃えた。一つはまったく同じ型、もう一つはほぼ同型のグレード違い。メーカーからのレンタルだったのでなかなかの出費だった。
○アクセルのピアノ演奏で、下手アングルの監督のカメラが左手側から始めて、途中で右手側に移動する。最初から右手側から撮りたくなると思うが、なぜ左側から始めたのか。(結果的に両サイドからの絵が観れたのでとてもライヴ映像として楽しめたのだが)
●ドラムのシンバルが外れるトラブルが起き(実際に写っている)、それを俯瞰した絵が欲しかったため、左側から始めた。直したあとに右側に移動している。
○終盤、アクセルがハーレムでハバナでのライヴ映像をパソコンで観ているシーンがあるが、あの映像は既に編集が施されていた。時間差があるのか。
●荒編のものを2か月後くらいに持って行った。
○映像の色合いがとても独特だった。編集時の加工なのか。
●一眼動画で撮ったものだからだと思う。編集時に一定の色加工はしているが、その質感を狙って一眼カメラを選んだ。ハーレムでは大きすぎる(目につきやすい)ので業務用の小さなハンディカムを使った。場所が変わって質感が変わるのはそのせい。結果的にいい効果が得られたと思う。

・・・とかそんなどうでもいい(でも大事)質問をしていたような気がする。もうちょっと聞いたような気もするけどラムで酔っぱらってた。
監督は、この一つ一つに対してその時のおもしろエピソードも交え、とても真剣に答えてくれ、そしてもちろん他のお客さんからの質問も興味深く、そこからまた深い話が聞けたりして、とてもいいディスカッションだったように思う。

5月5日のSSUOの映像を、当日の打ち上げでふと思いついて編集をしてみて、準備計画を立てない撮影の危険さを今更思い知った僕にはとてもタイムリーでこの上なく刺激的で勉強になる作品と時間だった。マジありがたや。
たった今観終わったばかりだったのにDVD買っちゃったもん。また研究してみる!

帰り、あまりに腹が減ってラーメンを喰らってしまった。タプンタプンで気持ちが悪い。
心、入れ替える。


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ケン・ローチの勢いが止まらない。90年代の3本を(数日かけて)連続で。
『リフ・ラフ』(Riff-Raff/ケン・ローチ/1991・英)
『レイニング・ストーンズ』(Raining Stones/ケン・ローチ/1993・英)
『レディバード、レディバード』(Ladybird Ladybird/ケン・ローチ/1994・英)
どれも観てて、「いや、これは、だめだよね・・・」とか思っちゃう時がどうしても出てくるという、貧困と無教養で現実の中で負のスパイラルしか生み出せない主人公たちの発想と行動。
でもケン・ローチってすっぱすっぱと余裕で描いていくんだよね。「ああ、もちろんだめだよね!だから?」って出しちゃう。このパワーがすごい。
とても単純に見えることを単純化させない、無言のパワーを感じてしまって、結果ものすごく力づけられるのだ。

以前、かなり信頼を寄せている人が、今のニホンの経済状況とか若者の貧困について話している(呑みですけど)時に、「でも今の若い子たちって全然辛抱が足りないっていうか、考え方が凝り固まってるよねー。環境が悪いって言うけどさー・・・」なんてことをおっしゃってて、超がつくほど「リベラル」な人だと思っていたけどびつくりーって思ったことがあった。
あまりその先深く話をしなかったので本当の真意はわからなかったけれど、なんかキツかった。
「がんばりが足りない」って、そりゃ事実なんだろうね。「もっと苦労した人もいる」ってのもまた、厳然たる事実なんだろうね。
でもねー。がんばれない人とか、目の前の日当だけが全てな人とか、多角的な視野とか長期的なプランが現実的に持てない人や、そのために必要なはずの最低限の知恵を持てない人って現実的にいるんだよねー。すっげぇエラソウな言い方で申し訳ないけど。でも本当にウチの職場に来るんだよね、そういう人って。
でもそういう人のために、少なくとも今まがりなりにも定職があって、ある程度の生活の余裕がある僕の税金を投入するのは全然ウェルカムなんだよねー。それで間違えてないと思うんだよねー。
所得再分配って、基本の基本のはずなんだよねー。もしくはキューバのように、みんなの所得を減らすのかのどっちかだよねー。というかそのバランス加減だよねー。
だからいったんニホンがここまで来ちゃったからには、何はさておき無条件に、キツい状態に陥ってしまったヤツをみんなでなんとかする。っていう、マイナスを少なくともゼロにするってところから始めないと、何も語ることは出来ないと思う。んだよねー。
信念や思想じゃメシ喰えないからねー。とりあえず経済。だよねー。

45年の精神と80年代90年代の現実。
英国から学べって話、なんだよねー。

なんの話だかわかんなくなっちゃった。

作品として一番気に入ったのは『レイニング・ストーンズ』、かな。



軽く二日酔い。
しかも仕事もピーク過ぎちゃってやる気ゼロ。

先日サトコちゃんと、FBの使い方についてメッセンジャーでやり取りして、なんだかヒントを貰えたような気がしちゃって、アカウントの仕様を変えてみた。
まさかここまでの効果があがるとは思ってもみなかった。マジセンキュー。

FB依存、少しずつ改善に向かっています。

今日もやっぱり早すぎる時間に目が覚め、しょうがないのでウクレレとか軽く弾いてみて、いい時間になってきたので『Sgt. Peppers』ボックスを聴きながら布団を干し洗濯をし、そして一大決心をしてバズの遺品を処分した。といっても小さなベッドとぬいぐるみと食器だけだけど、なんとなく、こじつけな気がしなくもないけれど、あの時から何かが変わっていったような気がするので。
リセットなんてしようもないけれど、それでもやっぱりここをなんとかせねば、みたいな気持ちで、バズに謝りながら処分させてもらった。
ちょっとさびしいようなすっきりしたような気になってきて、再びウクレレを弾いて時間をつぶす。
午後は祐天寺。駅前のカラオケボックスで3人練習。18時からはポエポエでオーケストラ練習。

なんか、今日はいい感じだった。3人練習も和気あいあいで楽しく、ひょんな縁で知り合えたTさんともお会いすることが出来、想像していたより遥かに立派な方で、この縁が繋がるといいな、と素直に思え、オーケストラもライヴが終わった開放感と6月のライヴに向けての軽い緊張感がほどほどに混じりあったバランスが心地よい。
なんだかとても、ああ、ちゃんといい日常を過ごせてる、なんて思ってた。
そしたら失敗した。
まったく想定をしていなかった、というわけではない。もしかしたら、くらいの意識はあったと思う。でも、心の準備をまったくしていなかった。それで失敗した。落ち込んだ。
そのあとセンセイとロザロビと4人で呑みに行って、多分けっこう絡み酒をして、余裕で終電を逃し、タクシー帰宅。しかも途中で止めてもらって路地裏でPUKE。サイアクやん。
いやマジで、いざという時に弱い。なんでもうちょっと大人の振る舞いが出来ないのか。
う~ん、今日もやっぱり自己否定で幕を閉じた。
っていうかバタンキューだったけどね。

(昨日からの続き)
そんなわけで風知空知に来てみた。
開演まで撮影の場所決め(ここで撮るのは初めてなので勝手がわからない)とかで悩んでいると、カズマロさんが声をかけてくれた。そして、楽屋にいたツグオミを連れて来てくれた。
わーお。
30年ぶりっていうのは多分おおげさなんだけど、それでも28年ぶりくらいだろうか。
「最近どうよ?」と言いつつも、空白の時間が長すぎるので、テキトーな近況をベラベラ語り、一番ホットな失恋話などでお茶を濁す。
ツグオミはやっぱりツグオミで、口調や姿勢がまったく高校生の頃のままだった。そんなこと言ったらみんなそうだってことになったりするんだろうけど、いやこの男はホントそう。変わったのは髪型くらい。体型もまったく変わっていなかった。最近僕は「痩せた」とかほざいていたけど、ツグオミに較べたら全然デブになったもんね。ダイエットしなきゃ。

そんなわけで開演。カズマロさんのTHIS BIGは3番手のトリ。
子供の頃もウメーとは思っていたが、こんなにかっこいいギターを弾く人だったのかよ。これはJohn Faheyのそれだよ。しかも電気ギターだぜ。ヤヴァス。
メイベルズの頃から(あまり聴いてないけど)、一筋縄ではいかない、単純要素を排除していくような曲が増えていった中で(あまり聴いてないけど)、それを裏打ちするのがこの演奏力なのねーって勝手に納得して目をハートにして撮影していました。
ちなみにまた昔話をすると、ツグオミの家で(つまりカズマロさんの家で)、カズマロさんの留守中にウインクスのギタリストのギターを触っていたら、そこにちょうど運悪く帰ってきてしまったカズマロさんに「なに勝手に弾いてんだ」と叱られ、それでもそのあと目の前で数曲弾いてジョージ・ハリスンのギターがいかにすごいのかということを教えてくれた。結果すげえ運がいいなぁ、と思った、そんなこともありました。
なので今回はそれが(ジョージじゃなくてジョン・フェイヒィが)超わかりやすく出ている曲のみトトチャンでアップしました。まあ一回目はそれでよかろう、と勝手に判断させていただく。次回から「難解な曲」でいってみようと思う。
できれば、演者と聴く側では求めるものが違うってのは百も承知の上で、いわゆるバンド編成で観てみたいなぁ。ドラムフルセット(今回はキックなし)でベースがいて、なんならもう一人ギターがいたって別に鍵盤がいたってどうしてもというならブラスが加わったって構わないけど、とりあえず3人になるだけでも随分音世界が広がるんだろうなー。なんて思っちゃいましたよ。あとリッケンな。
終演。
ツグオミと連絡先を交換して、今度呑もうやと約束をして、店をあとにする。
まっすぐ帰ろう、と思ったけど思わず駅と逆方向に向かってボデギり、ハルカ姐さんと1時間ほど駄弁って終電間際に全速力で駆け足して帰りました。
あー楽しかった。

5/25、職場で鬱症状が出て苦しんでいる子がいて、その対処等をネットで検索していたのだが、ついでに「鬱の初期症状」みたいなページが出てきて、思わず読んでしまった。
10項目中9項目がきれいに当てはまったわよ。
こういうものは、そのように考えればそう見える、というものだということは百も承知なのだけれど、それを差し引いてもなかなかなもんだなと考え込んでしまった。
でも。
昨日のシモキタで、つぐおみが「あのねトモキ、それはオレはすっげえ良く分かるよ。でもね、命を賭すっていうのはもっとね、今でいうなら憲法を守るとか、そういう、そういうね、そういうところのためにあるものでね、決してそんなことでね、言っちゃあいけないんだよ。まあすっげえ分かるけどね。」とか言っていたのがものすごくすんなりアタマに入ったし、何よりすっげえ嬉しかったので、死ぬもなにも、鬱にだって絶対ならない。だから絶対に病院には行かない。行ったら即日「なれる」と思う。すぐその場で認定してもられるし、すぐクスリもらえるし、それを呑んだらもう完璧だと思うので。
長期休みが欲しくなった時は行くかもしれない。

THIS BIG @ 風知空知/下北沢

僕が自分でバンドなるものを始めるにあたって、間違いなくこの人の存在は大きかった。
ビートルズやビリー・ジョエルやグランド・ファンクやデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズがいかに素晴らしかろうとも、実際に目の前で僕に分かる言葉でかっこいい姿を見せてくれたのはこの人であって、その存在は圧倒的といっても言い過ぎではなかった。
そしてこの人の弟が、偶然にも僕と同い年で同じ高校に通っていたということが、その後の僕の人生を変えてくれたんじゃないか、今になってみると、そう思いたい。

80年代当時の埼玉県上福岡市は、けっこう若いバンドやろうぜ君たちにとって居心地のいい自治体だったんじゃないかと思う。年に何回か市が主催で500名キャパのホールを使わせてくれ、10バンド以上が腕を競っていた。
確か全て、鶴田さんという、市の職員が仕切ってくれていたのだと思う。今40代50代の上福岡市出身の人間は、もっと鶴田さんに感謝していい。この人が当時の上福岡を盛り上げていた一番の功労者なのだから。多分。
で、そんな上福岡市の音楽イベントは、8月の『サマー・コンサート』、10月の『オリジナル・ミュージック・フェスティバル』、そして3月の『ヤング・ロック・フェスティバル』があった(と思う)。10月の『オリフェス』はオリジナル曲限定でドラムなし、おのずとフォークソング主体になり、おじさん中心になる。それに対して3月の『ヤングロック』はその名の通り若造がロックするイベントだった。『サマコン』とどういう棲み分けをしていたのかは、今となってはよくわからない。

僕が初めて、この人の存在を知ったのが中学卒業間近の時の『ヤングロック』。The WinkSという細身の三つ釦スーツに身を包んだ四人組の一員だった。そのいでたちも、彼らが選ぶカバー曲も、そして彼らのオリジナル曲も、もう全てが15歳になりたての僕には衝撃的だった。
「かっこいー」を完全に飛び越えていた。
そこでギターとヴォーカルを担当していたのが吉田カズマロ!だった。見たことのないデザインのリッケンバッカーを弾いていた。ついでに言うと、僕は未だにカズマロさん以外でこのギターを弾いている人を寡聞にして知らない。本当に美しい、僕からすると世界でたった一本のギターだった。
日本人で僕のヒーローになるなんて、沢田研二しかいないと思っていたのに、まさか上福岡にいるだなんて。しかも二つ年上。当時のカズマロさんは高校生だった。

その数日後、僕も無事に高校生になり、隣の教室の1組の中から「カズマロさんの弟」を探しだし仲良くなった。それがツグオミ、のちの坂高一(オンリーワンと言った方が正確かもしれない)のギタリストになる男だ。
音楽の趣味が合ったのはツグオミだけだったけれども、そんなことはどうでもよくてとにかく自分たちでバンドを組みたくて、カシオペアとかが好きなキーボードとベース、なんでも叩けるらしくてヘビメタでもオッケーなドラム、あとなんとなく吹奏楽部で音楽できそうだからサックス2名を加えてバンドを組んだ。それが多分夏ごろ、なのかなぁ。ちなみにテナーサックスのSくんは、今はプロとしてジャズを演奏しているらしいっすよ。やるぅ。
さて、そんな僕らが初めて一緒に人前で演奏したのは1年生の2月頃?曲は『年下の男の子』と『微笑みがえし』だった。これは予餞会、つまり3年生を送る会だったので、一応それに合わせた曲を選んだ(10バンド近く応募して2バンドしか演奏させてもらえない。つまりオーディションを突破するための考え抜かれた選曲だったのだ)。そしてこの2曲に、当時The WinkSが演奏していた『グリーングリーン』を加えた。そして実はオレタチはホンモノなのだからと、バンド名はSgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band にした。もうこのへんが高校生の浅知恵で悲しくなってくるが、もう時効の話だ。

2年生の文化祭、3年生の文化祭で一緒に演った。Elvis Costello (The Loved Ones)、Nick Lowe (Raging Eyes)、Squeeze (Touching Me Touching You, I’ve Returned)、Dire Straits (Twisting By The Pool)、The Clash (Drug Stabbing Time)、Ramones (Rock’n’Roll Radio)、The Jam (Heat Wave, Beat Surrender)。こう思い出してみるとビートルズはやっていなかった。みんなが知らない曲をやるのがかっこいい、みたいな感覚だったのだろう。そんなバンド名だったくせに。
ツグオミは英語も堪能だったので、歌詞がわからない時は(外盤LPしかもっていない場合はもうほぼアウトである。ネットがある今の時代は本当にありがたい)ツグオミに聞き取ってもらい、それでもわからない場合はテキトーに作ってもらった。コードもわからない時はツグオミに聞けばなんとかしてくれた。
ラモーンズもヴェルヴェット・アンダーグラウンドもフォーク・ロックもツグオミに教わった。
ひたすら天才だった。ジェラシーを覚えるほどだった。しかも女の子の好みまでかぶった。そしてことごとく彼女たちはツグオミになびいていった。ひたすらジェラシーだった。
しかしひたすら仲も良かった。しょっちゅう遊んでいたような気がする。ある晩はツグオミが僕の家に遊びに来て、ギターを弾いて喋ってタバコ吸って、帰るのに何故かツグオミの家まで送って、それでも話がつきないから今度はツグオミが僕を家まで送ってくれ、最終的に3往復か4往復していた。お金も遊びにいくところもなかった時代だからこその笑い話だ。
3年生の時は『オリフェス』にツグオミと二人で出た。もう情けないくらいのオリジナル曲を数曲演った。なんとなく覚えているから余計恥ずかしい。

文化祭バンドとは別に、それぞれ別口でバンドを組んでいたので、卒業後しばらくしてから(僕が引っ越したのも大きい)なんとなく疎遠になっていき、連絡も取らなくなってしまった。

あれから30年が経ってしまった。

長くなりすぎてしまった。
続きはまた明日。