まず最初に、僕自身の立場を表明しておきたい。
現在のところ、僕の支持政党は日本共産党。これは、彼らの掲げる政策と僕が求めるそれとが、他の政党のものに較べると断トツに近いからという、極々当たり前の理由からである。
そういう人間が書いたものとして読んでいただきたい。

共謀罪が衆参両院を通過し、事実上成立ということになった。
この法律に関しては、国会内に限らず新聞やテレビなどの、比較的政権寄りと揶揄される主要メディアにおいても、その適用範囲の曖昧さが指摘されている。
政権にたてついた人がとっつかまる可能性がある。
国策に抗議した人がとっつかまる可能性がある。
花見に双眼鏡を持ってきた人がとっつかまる可能性がある。
そう言われている。
むろん、現政権は否定する。あくまでテロ目的の人間が対象になるのであって、一般人が対象になることはありえない。
でも一般人がそうでないかの判断はどのような基準で決めるのかが曖昧すぎる。結果、取り締まりを実行する警察に強大な権限を与えることになりかねない。実際に国会でも、法務大臣や官僚の答弁が二転三転する場面が何度もあった。

僕自身はとっても危険な内容だと思うし、全面的に廃止するべき法律だと思っている。でももちろん、全国民がそう思っているのかと言うと、そうでもない。まあいいんじゃない?とか、やっぱり必要だ、と思う人もやっぱりいる。
そういった人に向けて、以下を書き進めたい。
僕(を含めた反対表明者の大多数)は、自分が適用対象になり得るからという理由で反対を表明しているわけではない。この法律がヤヴァイとされる最大の理由は、「現時点で」というただし書きをつけない限り、安心できる一般市民は一人も存在しないということなのだ。
自民党支持者のワタシは大丈夫。安倍晋三さんは知り合いの知り合いだから大丈夫っていう安心は、安倍晋三が強大な力を持っている「現時点」でしか何の効力も持たないのだ。
想像してみてほしい。
あの、志位和夫が日本の総理大臣だったとしたら。小池晃だったとしたら。山本太郎だったとしたら。小沢一郎だったとしたら。蓮舫だったとしたら。ドナルド・トランプだったとしたら。フィデル・カストロだったとしたら。
彼らが国のトップに立ち、単独過半数の政権で権力を掌握したとしたら。
考えてもみてほしい。
実際に自民党と社会党で連立政権を持った時もある。自民党離脱組の新生党やさきがけが中心になって政権を持った時もある。そして、民主党政権だった時もある。
民主党政権時代は最悪だったという意見もある。これにはおおいに異論があるが、もしその通りだったとして、その政権を選んだのは僕ら国民である。最悪な政党に最大の議席を与えた時はみんななんらか期待をしていたはずなのだ。愚民どもがだまされたといってももうどうしようもない。だまされた責任を問うてもあとの祭りだ。
そんな時代が、この先また訪れることがあるとしたら。
そんな時代に、この共謀罪があったとしたら。
考えただけでもぞっとする話だ。と、思わないのだろうか。僕が安倍政権に対して抱くような恐怖を、賛成派は、村山政権や細川政権や鳩山、管、野田政権に対して抱かないのだろうか。いつの日かまかり間違って成立してしまうかもしれない左巻きの政権にこの法律の施行を委ねられるのだろうか。

これだけでも、反対するには充分すぎると思うのだが、いかがなものだろうか。

僕は長いこと、多分20年くらい、顎関節症を患っている。
右あごのその痛みは、普通の、日常のルーティーンとして常に存在していて、今更どうしようもないなという気持ちになっている。もちろん時々マッサージしたりもするけれど、まあ耐えられないほどではないし、ほとんどあきらめの境地だった。右あごが痛い。それが普通。それがオレ。
先日、恋に破れた時(もう2ヶ月も経つんですね)に、突然その痛みが左あごに移った。急に痛みが移動してしまったのだ。不思議なこともあるもので、右あごはまったく痛くなくなり、そして左あごの痛みは、右あごのそれをはるかに上回るものになってしまった。
さてどうしたものかと思ったが、まあ、これはこれ。時々マッサージしながら、「それほど参ってるんだねオレ」と涙を流しながら結局そのまま放置する日々を過ごしてきた。
そんな感じで今日も仕事をこなしていたのだが、昼休みに食事を取る際に突然の大激痛に襲われた。口を開けると耳の奥に針を刺されたようになる。これは新感覚。骨というより耳の穴だ。食事どころではないのだ。
仕事の流れでは明日からがピークになるので、急遽半休を貰い病院へ。
診察の結果、症状は外耳炎。しかし大元はあごでしょう、と。だから外耳炎の薬の前にあご周辺の筋肉の緊張をやわらげる薬と痛み止めを貰う。胃薬も進められるがこれは断る。どうせ飲まんので。
とうとう薬に頼る日々が訪れてしまった。
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夜、声をかけられたイベントに顔を出してみようかとついその気になる。しかしそれはあまりに安直すぎる。いやいや何を今更。いややっぱりそうじゃない。と悩み、イベント開始時間まであれやこれや理由をつけて家を出ず、間に合わないことを理由に欠席した。
結果、さらに悶々とし、今日はこれしかない、と国会前に行くことにした。

思いのほか、人は少なかった。もちろん共謀罪に反対する人の全てがここに集まっているわけではないが、まあ現状、こんなものだろうな、と、自分の胸に手をあててみると妙に納得もする。

どうにも盛り上がりに欠ける。人数とか規模じゃなくて、自分自身の中の盛り上がりに欠ける。
それって多分、回り(国会前ではなく、日常の)を見渡した時の手応えのなさだと思う。
安保法制の時に、集団的自衛権の時に、(負けるの承知で)あれほどジタバタし、でもありえないやり方で悪法を通され、これってどう考えてもおかしいだろ!と我々は憤った。しかしそれは、けっこう我々だけが憤ってた。あっそうなの。いいんだ別に。・・・みたいな。
なんか自民党感じ悪いよねーだったのが、なんか俺たちバカバカしいよねーになってきちゃった。
それでももちろん、ずっとずっと国会前で声を上げ続けてくれた人達がいる。だから今日もこうして集まれる。そこはものすごく感謝しているし、それを無駄にしてはいけないと思っている。
それでもちょっと、気持ちが折れちゃう時が最近増えた。
誰に振っても、それはタブー扱いでスルーされることが増えた。

北朝鮮がーとか、ロシアがーとか、トランプがーとか、ルペンがーとか、そういう話好きな人はけっこう多いんです。
でも自分のところが一番ズタボロだという話をするとあまり乗ってこない。
「んー政治の話はー」ってなんだったんだ今まで無邪気に語ってた話は。
「みんなが幸せで平和なのがいい」ってそれこそが政治でしょー。
あげく「野党がー」とか言い出しちゃう。
アホか。誰かになんとかしてもらわないとみたいな奴隷根性はもういい加減お捨てなさい。
勝つか負けるかじゃなくて、多数派か少数派かじゃなくて、死なない程度に権力に楯突くくらいの気概をせめてポーズだけでもお待ちなさい。
理念や支持政党の話ではなく、権力者がその権力をゴーインに行使しようとした時に、「ちょっと待て」くらいはせめてポーズだけでも言わないと、それはカッコ悪すぎるでしょ大人として。

意見を言う、ということが躊躇されるようになってきた。で、こっちもめんどくさいからいちいちしなくなっちゃった。
これが多分、第一歩に繋がる、もしくは既に踏み出している大きな一歩なんだと思う。
僕は既存政党では日本共産党を支持しているけど、もし彼らが衆参で過半数を確保したとしたら、徹底的に監視していっぱい文句言うと思う。
その自信はある、共謀罪さえ適用されなければ。
こっちがかの国を指さして偉そうに「危惧する」なんてほざいてる今、この国はそれ以上に危惧されてるからね。

共謀罪が通ったからって、明日から何かが変わるということは絶対に起きない。
法律が主体的に何かを変わるのでなく、僕ら自身がじわりじわりと変えていくことになるだろう。
で、誰かスケープゴートで共謀罪を1回か2回適用すればいい。そうすれば完全に僕らの日常の身の振り方が変わる。
そうして国が変わる。

AFF、二日目。

『ヴィック・ムニーズ/ごみアートの奇跡』
“Wasteland” 2011 / ルーシー・ウォーカー / 英・ブラジル
official site

『あん』
2015 / 河瀨直美 / 日仏独
official site

『密告者とその家族』
“The Collaborator and His Family” 2011 / ルーシー・シャツ、アディ・バラシュ / アメリカ、イスラエル、フランス
監督インタビュー
日本語予告編見つけられず。

『おじいちゃんの里帰り』
この映画は観ずに帰ってきた。

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今日はブラジル、日本、イスラエル。
いやはや、今日もすごかった。『あん』はその存在は知っていたんだけど、こういう話とはまったく知らなかった。観れてよかった。マジでよかった。上映のあと、実際にハンセン病と闘っている森元美代治さんという方のトーク・イベントがあった。そりゃもうとても魅力的な人で、この為だけに一日さいてもいいくらい濃密な話を伺った。
たったの30分だけだったけれど、全然物足りなかったけれど、それでも充分すぎるくらいの衝撃を受けてしまった。
つまり、無知は罪なのだということを、心底思い知らされた。

新橋ヤクルトホールでアムネスティ・フィルム・フェスティバル。
2年の1回、今年で5回目ということらしい。僕が参加し始めて、多分4回目。これはとっても意義深いイベントだと思うので、これからも来続けるぞーっと思ったら今年で終わりなんですって。
まあ大変だろうし文句は言えないけど。だって作品の選抜から始めて(観て観て観て・・・)権利あれこれ宣伝あれこれもっともっといっぱいあれこれ、そしてお金。文句は言えないわな。
今まで本当にありがとうございました。

アムネスティ・フィルム・フェスティバル2017

さて感想。
今年はとにかく粒揃いでした。二日間8本中6本がドキュメンタリー。観たのは7本だけど、どれもこれもクオリティー高すぎ。
やっぱ映画はすげえよ。

『それでも僕は帰る~シリア 若者たちが求め続けたふるさと~』
“Return To Homs” 2013 / タラール・デルキ / シリア・独
official site

『ザ・トゥルー・コスト~ファストファッション 真の代償~』
“The True Cost” 2015 / アンドリュー・モーガン / 米
official site

『女を修理する男』
“L’HOMME QUI REPARE LES FEMMES” “The Man Who Mends Women” 2015 / テリー・ミシェル / 仏??
official site
劇場未公開。日本語予告編なし。

『蒼のシンフォニー』
2015 / 朴英二 / 日
official site

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シリア、バングラディシュ、コンゴ、北朝鮮が舞台のドキュメンタリー四本立て。
観た順ってこともあるだろうけど、『蒼のシンフォニー』に持ってかれたなー。もちろん身近に感じられる問題だし、そのうえまったくベールに包まれている(情報が回ってこない)感が非常に強いので、この映像はいちいちどこを切り取っても新鮮に感じた。撮れるところと撮れないところがある、なんて話も聞いたことがあるので何とも言えないけど、これはみんなにオススメ。
まあもちろん4本とも全部オススメ。なんというか、超がつくくらいの充実感で一日を終えました。

東京大学駒沢キャンパスでイベントに参加してきました。

~映画『むかしMattoの町があった』上映運動4周年記念イベント “日本のMattoの町”をどうする!?”~

数年前のアムネスティー映画祭で関連の映画(『人生、ここにあり!』だったと思う)を観て、その時に買った本の著者が大熊一夫さんで、その数年後に大熊さんの講演会に行き、多分その時にその存在を知った映画が『むかしMattoの町があった』。
全国各地で上映会を開いているものの、なかなかタイミングが合わず、今日、ようやく!
という喜びをよそに、このたび9/21発売の大熊さんの新著に映画全編のDVDが付録になってるんだってさ。わーい。

まあなんにせよ、楽しみにしていたわけです。
8時半すぎに受付を済ませる。ってことは自宅を出たのは7時半過ぎ。これはもう普段会社に行くのより早起きなわけで、毎朝起きれなくて困ってますという僕の悩みは、ただ単純に仕事に行きたくないだけだったってことがよく分かりました。

9時半定刻、映画上映開始。
もともとテレビ用に制作されたもので、放映当時、前編後編ともに視聴率20%超えだったとか。
そりゃあやっぱりセンセーショナルでしょう。自分の国で実際に起きたこととはいえ、今までの「常識」を完全に覆すことになるんだからね。
そしてそんなことは欠片も起きていない、ここニポンで観れば、そりゃあやっぱりすごいさ。そこの当事者たちのふんばりを想像するだけで言葉を失う。
途中10分程度の休憩をはさんで3時間強、まったく飽きが来なかった。テーマだけじゃなく、作品としても見応え十分で大満足でした。
ちなみに駒沢キャンパスの90番講堂、というかどこでも同じなのかもしれないけれど、ここの備え付けの椅子はとてもじゃないが数時間座り続けられる代物じゃない。会場に入る前にパイプ椅子じゃキツイな~なんて想像していた自分が超甘ちゃんでしたよ。
でも、それにもかかわらず、「いいモノ観たわ~」な気持ちにさせられる逸品でしたとさ。

『むかしMattoの町があった(C’era Una Volta La Città Dei Matti…)』/監督・マルコ・トゥルーコ/2010・伊

お昼休憩をはさみ、午後からは講演会。
フランコ・バザーリア(映画の主人公。つまりイタリアで精神病院をなくす運動を始めた人)と一緒に運動を支え続けたマリア・グラツィア・ジャンニケッダさんが登場。
最初に大熊さんから挨拶。二部はまず日本の精神病院事情をテーマにしてシンポジウム形式で・・・と考えていたんだけど、マリアさんと話をしてて急遽変更することになりましたーっ!ってマリアさんの講演がスタートしちゃった。
でもこのイベント、タイトルが「日本のMattoの町・・・」だよねぇ。いいのそれを中止にしちゃって・・・?個人的には現在の日本の状況も知りたかったので、ちょっと残念な変更。
しかもマリアさんの話はけっこう面白いんだけど、通訳の入るタイミングがないほど話が長いのでちょっと午後イチの流れにしてはテンポが悪く、ところどころで意識が遠のいてしまった。メモも間が空いちゃっているので読み直してもよくわかんない感じになっちゃいました。わーお。

その後は会場からの質問コーナー。
「当事者です」って方がけっこういらっしゃってびっくり。と言っても150名~200名くらいの中の数人だけどさ。そういう立場だからこそ積極的に質問もあるんだろうしね。

この頃には僕はテンションが切れていたので(だって朝の9時から18時までいるんだよここに!)、講堂の2階の席で一人、席を変えたり伸びをしたりしながら見てました。ラクしてすみません。

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19時前解散。

自由が丘のBird Song Cafeに初めてお邪魔してきました。マスターの俊自さん、それからお客の金子さんにいっぱい知らない世界を教わって、思わず呑みすぎましたとさ。

2010年の東京オリンピック誘致での賄賂問題。

とにかくニッポンでオリンピックやってほしくない派なので、辞退とか返上とかロンドンとか色々願って騒いでますけど、落ちついて考えてみると、金を払って得する人と金を貰って得する人の双方がいなけりゃこういう話は成り立たないってのが基本の話なんですよね。
だからトーキョーが悪いニッポンが悪いっていう論が成り立った瞬間に、オリンピック委員会が悪いって論にもなるはず。だってワイロ受け取ったんだから。そのワイロが開催地選びに影響を与えてるんだから。
ってことはだよ、世界中のみんな悪かった。夢見てる子供たち悪かった。アスリートにもホント悪かった。でも今回は色々と悪い大人がズルっこいことしすぎたから、もう何もかも中止!次の四年後までやりません!とか言うのが本当は筋が通ってると思うのよね。それはあまりにも、っていうんだったらせめて、2022年までやりません!とか、今後は未来永劫、ギリシャでしか開催しません!とか宣言するべきなのよ。それを言わないってことが心底ズルっこいのよ。
とにかくトーキョーでやってほしくない派なので、これ幸いと騒いでますけど、こういう状況を野放しにして胡座かいてボロ儲けしてたのがIOCなんだからね。
しつこいようだけど、ホントにやってほしくないんですよココで。でもね、今更ワイロくらいで騒ぐな善人ぶりやがって昔っからやってただろうテメーらって言いたい気持ちもないわけでもないんですよ。

まあロンドンがいいと思うけどね〜( ´ ▽ ` )

国会前に行く。
会社のウクレレクラブの社外活動という体でヤスユキとマツとキモトを連れて行く。
まーまーおもしろい反応だった。

国会前に行く。
つもりだったのだが、正門の直前の横断歩道で、デモ帰りの会社OBと出会ってしまい、何ら抗議声明を出すことも出来ないまま拉致され、有楽町で呑みました。
70年代闘争の話とか面白かったですけど、10年代闘争なんだよ今は。こんなところで呑んだくれてていいのかオレ。まあいいか。

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