今回の旅行は、いわゆるツアー。けっこうかなりブルジョア旅行で、費用も僕の感覚からいくと「わーお」としか言いようがない。父の墓代を回して、という母の英断がなかったらとてもじゃないけど参加できるような立場ではない。
まあ一生に一度の気分で(間違いなくそうなることでしょうけど)、精一杯楽しんで来ようと思う。

・・・で、ここからは帰って来てから相当加筆しています。予定も変わっちゃったし、行く前の情報では分からなかった町にも行ったので。

まずは日程。「13日間の旅」とは銘打っているけど、現地で遊べる時間は、実質「10日間の旅」。

ワールド航空サービスという、多分けっこう大手なんだろうけど、ツアー旅行をしない僕(てか海外旅行自体が非日常すぎる僕)はやっぱり知りません、という会社のツアーに参加しました。

mapa de cuba

自作キューバ地図。 赤○のところに番号順に立ち寄り、(分かりづらいけど)太字のところに宿泊しましてん。

 

  • 1/22(金) 羽田19:15出発、トロント経由でハバナに同日22:30(現地時間)到着。この日はこのまま就寝。ハバナ(①Habana)泊。
  • 1/23(土) バスで西に移動、ビニャーレスの谷(②Valle de Viñales)という世界遺産見学。途中でタバコ農家に寄って、葉巻を作っているところを見させてもらう。そのあとピナール・デル・リオ(③Pinar del Rio)という町でラム酒工場とか見学してから、再びハバナの同じホテルに戻って夕食。ハバナ泊。
  • 1/24(日) 早朝、バスで空港に。一気に最東端まで飛んで(2時間ちょい)、最古の町(らしい)バラコアへ。バラコア泊。・・・のはずだったんだけど何故か飛行機が飛ばなくってそのままハバナ泊。ホテルは空港手配のところに変更。臨時で軽くハバナ観光。
  • 1/25(月) ここバラコアからはバスの旅。南回りで移動!・・・のはずだったんだけどまだハバナだから飛行機でようやくバラコア(④Baracoa)へ。早送りで予定を済ませ、それからグアンタナモ(⑤Guantanamo)に寄ってからサンチアゴ・デ・クーバ(⑥Santiago de Cuba)泊。ここで当初の予定に追いつく。
  • 1/26(火) サンチアゴ・デ・クーバの町観光。ここは革命ゆかりの地なので多分そういった系が中心。同じホテル連泊。
  • 1/27(水) エル・コブレ村(⑦El Cobre・『老人と海』の舞台?)、バヤモ(⑧Bayamo・国歌発祥の地)を楽しんで、そしてカマグウェイ(⑨Camaguey)泊。
  • 1/28(木) 自転車タクシーでカマグウェイ観光。バスで移動、サンクティ・スピリトゥス(⑩Sancti Spiritus)観光を経て、トリニダー(⑪Trinidad)泊。
  • 1/29(金) トリニダー旧市街観光。同ホテル連泊。
  • 1/30(土) シエンフエゴス(⑫Cienfuegos)、サンタクララ(⑬Santa Clara・チェががんばったところ)を経て、ハバナに戻ってくる、と。ここから最後までハバナ泊。トリニダーのホテルが当初の予定から変更になって、ランクが落ちたとのことで、急遽ホテルでのショーに旅行会社の計らいで招待。ツアーってすごいなーって思った瞬間。
  • 1/31(日) 終日ハバナ観光、新市街、旧市街をバスや徒歩で移動。夜はオプションっていうか実費で町に出てキューバンミュージック鑑賞。同じホテル泊。
  • 2/01(月) ヘミングウェイの住んでいた家、ヘミングウェイがよく釣りをしていたコヒマル(ここはハバナの超近所なので地図載せてません)、それからクラシックカーに乗ってハバナドライブ。同じホテル泊。この日も実費でトロピカーナのショー。超金持ち気分を味わって幕を閉じる。
  • 2/02(火) 早朝、バスで空港に。トロント経由で羽田へ。
  • 2/03(水) 17:00頃(日本時間)羽田着。

こういうのは、絶対下調べを丹念にやっておいた方が楽しいに決まっているんだけど、この日程を知ったのはついこないだ(かつ細かい情報はなし)だったので、あーもういいやどうせ全部段取り決まってるんだし悠然と構えてよう、なんて開き直っちゃったのがやっぱり大失敗。

ルートを辿ると、ちょこちょこと(当然ながら)キューバ革命に関連するところが出てくる。それともちろんそうじゃないところも出てくる(ヘミングウェイとかね)。だから本当は、2面的に見所を押さえていった方が(そういう認識を事前に持ってから臨んだ方が)、圧倒的にその土地土地で理解も深まるし、愛着も湧き易かったりしたんだろうなー。

革命の視点でいくと、

1953年、サンチアゴ・デ・クーバ(4日目)で、フィデルが革命への第一弾攻撃を開始して

1958年、サンタ・クララ(9日目)で、チェが革命の勝利を決定的なものにし、

1959年、ハバナに凱旋(10日目)、革命政府樹立、となる。

だから多分僕らのバスもほぼ同じルートでハバナに入っていたことになるのでしょう。

・・・ちなみに出発前にそらで言えた僕の知識は上記3項目のみ。これ以上のことは現地ないし帰ってきてから詰め込んでまとめました。一応本も持っていってホテルで勉強する、つもりだったけどやっぱり全然無理でした。

その流れの中で、最古の町(3日目)とか、国歌発祥の地(6日目)とか、世界遺産(しょっちゅう)とかが散りばめられている。

だから本当に情報過多で線で繋がってない状態になっちゃってちょっとストレスにもなっちゃった。

帰って来てからちゃんとまとめないと、せっかくのキューバなのにわけわかんないまま「楽しかった」で終わっちゃう。

なのでこの一連のキューバツアー日記は日々ちょこちょこ加筆訂正を入れながら、(飽きなければ)いつの日か完成させるつもり。

これからキューバに行こうっていう人がたまたま見つけて参考にしようと思っても情報として有効になるかどうかは僕にもわからないのでそのへんよろしくどうぞ。

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