(昨日からの続き)
そんなわけで風知空知に来てみた。
開演まで撮影の場所決め(ここで撮るのは初めてなので勝手がわからない)とかで悩んでいると、カズマロさんが声をかけてくれた。そして、楽屋にいたツグオミを連れて来てくれた。
わーお。
30年ぶりっていうのは多分おおげさなんだけど、それでも28年ぶりくらいだろうか。
「最近どうよ?」と言いつつも、空白の時間が長すぎるので、テキトーな近況をベラベラ語り、一番ホットな失恋話などでお茶を濁す。
ツグオミはやっぱりツグオミで、口調や姿勢がまったく高校生の頃のままだった。そんなこと言ったらみんなそうだってことになったりするんだろうけど、いやこの男はホントそう。変わったのは髪型くらい。体型もまったく変わっていなかった。最近僕は「痩せた」とかほざいていたけど、ツグオミに較べたら全然デブになったもんね。ダイエットしなきゃ。

そんなわけで開演。カズマロさんのTHIS BIGは3番手のトリ。
子供の頃もウメーとは思っていたが、こんなにかっこいいギターを弾く人だったのかよ。これはJohn Faheyのそれだよ。しかも電気ギターだぜ。ヤヴァス。
メイベルズの頃から(あまり聴いてないけど)、一筋縄ではいかない、単純要素を排除していくような曲が増えていった中で(あまり聴いてないけど)、それを裏打ちするのがこの演奏力なのねーって勝手に納得して目をハートにして撮影していました。
ちなみにまた昔話をすると、ツグオミの家で(つまりカズマロさんの家で)、カズマロさんの留守中にウインクスのギタリストのギターを触っていたら、そこにちょうど運悪く帰ってきてしまったカズマロさんに「なに勝手に弾いてんだ」と叱られ、それでもそのあと目の前で数曲弾いてジョージ・ハリスンのギターがいかにすごいのかということを教えてくれた。結果すげえ運がいいなぁ、と思った、そんなこともありました。
なので今回はそれが(ジョージじゃなくてジョン・フェイヒィが)超わかりやすく出ている曲のみトトチャンでアップしました。まあ一回目はそれでよかろう、と勝手に判断させていただく。次回から「難解な曲」でいってみようと思う。
できれば、演者と聴く側では求めるものが違うってのは百も承知の上で、いわゆるバンド編成で観てみたいなぁ。ドラムフルセット(今回はキックなし)でベースがいて、なんならもう一人ギターがいたって別に鍵盤がいたってどうしてもというならブラスが加わったって構わないけど、とりあえず3人になるだけでも随分音世界が広がるんだろうなー。なんて思っちゃいましたよ。あとリッケンな。
終演。
ツグオミと連絡先を交換して、今度呑もうやと約束をして、店をあとにする。
まっすぐ帰ろう、と思ったけど思わず駅と逆方向に向かってボデギり、ハルカ姐さんと1時間ほど駄弁って終電間際に全速力で駆け足して帰りました。
あー楽しかった。

5/25、職場で鬱症状が出て苦しんでいる子がいて、その対処等をネットで検索していたのだが、ついでに「鬱の初期症状」みたいなページが出てきて、思わず読んでしまった。
10項目中9項目がきれいに当てはまったわよ。
こういうものは、そのように考えればそう見える、というものだということは百も承知なのだけれど、それを差し引いてもなかなかなもんだなと考え込んでしまった。
でも。
昨日のシモキタで、つぐおみが「あのねトモキ、それはオレはすっげえ良く分かるよ。でもね、命を賭すっていうのはもっとね、今でいうなら憲法を守るとか、そういう、そういうね、そういうところのためにあるものでね、決してそんなことでね、言っちゃあいけないんだよ。まあすっげえ分かるけどね。」とか言っていたのがものすごくすんなりアタマに入ったし、何よりすっげえ嬉しかったので、死ぬもなにも、鬱にだって絶対ならない。だから絶対に病院には行かない。行ったら即日「なれる」と思う。すぐその場で認定してもられるし、すぐクスリもらえるし、それを呑んだらもう完璧だと思うので。
長期休みが欲しくなった時は行くかもしれない。

THIS BIG @ 風知空知/下北沢

僕が自分でバンドなるものを始めるにあたって、間違いなくこの人の存在は大きかった。
ビートルズやビリー・ジョエルやグランド・ファンクやデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズがいかに素晴らしかろうとも、実際に目の前で僕に分かる言葉でかっこいい姿を見せてくれたのはこの人であって、その存在は圧倒的といっても言い過ぎではなかった。
そしてこの人の弟が、偶然にも僕と同い年で同じ高校に通っていたということが、その後の僕の人生を変えてくれたんじゃないか、今になってみると、そう思いたい。

80年代当時の埼玉県上福岡市は、けっこう若いバンドやろうぜ君たちにとって居心地のいい自治体だったんじゃないかと思う。年に何回か市が主催で500名キャパのホールを使わせてくれ、10バンド以上が腕を競っていた。
確か全て、鶴田さんという、市の職員が仕切ってくれていたのだと思う。今40代50代の上福岡市出身の人間は、もっと鶴田さんに感謝していい。この人が当時の上福岡を盛り上げていた一番の功労者なのだから。多分。
で、そんな上福岡市の音楽イベントは、8月の『サマー・コンサート』、10月の『オリジナル・ミュージック・フェスティバル』、そして3月の『ヤング・ロック・フェスティバル』があった(と思う)。10月の『オリフェス』はオリジナル曲限定でドラムなし、おのずとフォークソング主体になり、おじさん中心になる。それに対して3月の『ヤングロック』はその名の通り若造がロックするイベントだった。『サマコン』とどういう棲み分けをしていたのかは、今となってはよくわからない。

僕が初めて、この人の存在を知ったのが中学卒業間近の時の『ヤングロック』。The WinkSという細身の三つ釦スーツに身を包んだ四人組の一員だった。そのいでたちも、彼らが選ぶカバー曲も、そして彼らのオリジナル曲も、もう全てが15歳になりたての僕には衝撃的だった。
「かっこいー」を完全に飛び越えていた。
そこでギターとヴォーカルを担当していたのが吉田カズマロ!だった。見たことのないデザインのリッケンバッカーを弾いていた。ついでに言うと、僕は未だにカズマロさん以外でこのギターを弾いている人を寡聞にして知らない。本当に美しい、僕からすると世界でたった一本のギターだった。
日本人で僕のヒーローになるなんて、沢田研二しかいないと思っていたのに、まさか上福岡にいるだなんて。しかも二つ年上。当時のカズマロさんは高校生だった。

その数日後、僕も無事に高校生になり、隣の教室の1組の中から「カズマロさんの弟」を探しだし仲良くなった。それがツグオミ、のちの坂高一(オンリーワンと言った方が正確かもしれない)のギタリストになる男だ。
音楽の趣味が合ったのはツグオミだけだったけれども、そんなことはどうでもよくてとにかく自分たちでバンドを組みたくて、カシオペアとかが好きなキーボードとベース、なんでも叩けるらしくてヘビメタでもオッケーなドラム、あとなんとなく吹奏楽部で音楽できそうだからサックス2名を加えてバンドを組んだ。それが多分夏ごろ、なのかなぁ。ちなみにテナーサックスのSくんは、今はプロとしてジャズを演奏しているらしいっすよ。やるぅ。
さて、そんな僕らが初めて一緒に人前で演奏したのは1年生の2月頃?曲は『年下の男の子』と『微笑みがえし』だった。これは予餞会、つまり3年生を送る会だったので、一応それに合わせた曲を選んだ(10バンド近く応募して2バンドしか演奏させてもらえない。つまりオーディションを突破するための考え抜かれた選曲だったのだ)。そしてこの2曲に、当時The WinkSが演奏していた『グリーングリーン』を加えた。そして実はオレタチはホンモノなのだからと、バンド名はSgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band にした。もうこのへんが高校生の浅知恵で悲しくなってくるが、もう時効の話だ。

2年生の文化祭、3年生の文化祭で一緒に演った。Elvis Costello (The Loved Ones)、Nick Lowe (Raging Eyes)、Squeeze (Touching Me Touching You, I’ve Returned)、Dire Straits (Twisting By The Pool)、The Clash (Drug Stabbing Time)、Ramones (Rock’n’Roll Radio)、The Jam (Heat Wave, Beat Surrender)。こう思い出してみるとビートルズはやっていなかった。みんなが知らない曲をやるのがかっこいい、みたいな感覚だったのだろう。そんなバンド名だったくせに。
ツグオミは英語も堪能だったので、歌詞がわからない時は(外盤LPしかもっていない場合はもうほぼアウトである。ネットがある今の時代は本当にありがたい)ツグオミに聞き取ってもらい、それでもわからない場合はテキトーに作ってもらった。コードもわからない時はツグオミに聞けばなんとかしてくれた。
ラモーンズもヴェルヴェット・アンダーグラウンドもフォーク・ロックもツグオミに教わった。
ひたすら天才だった。ジェラシーを覚えるほどだった。しかも女の子の好みまでかぶった。そしてことごとく彼女たちはツグオミになびいていった。ひたすらジェラシーだった。
しかしひたすら仲も良かった。しょっちゅう遊んでいたような気がする。ある晩はツグオミが僕の家に遊びに来て、ギターを弾いて喋ってタバコ吸って、帰るのに何故かツグオミの家まで送って、それでも話がつきないから今度はツグオミが僕を家まで送ってくれ、最終的に3往復か4往復していた。お金も遊びにいくところもなかった時代だからこその笑い話だ。
3年生の時は『オリフェス』にツグオミと二人で出た。もう情けないくらいのオリジナル曲を数曲演った。なんとなく覚えているから余計恥ずかしい。

文化祭バンドとは別に、それぞれ別口でバンドを組んでいたので、卒業後しばらくしてから(僕が引っ越したのも大きい)なんとなく疎遠になっていき、連絡も取らなくなってしまった。

あれから30年が経ってしまった。

長くなりすぎてしまった。
続きはまた明日。