松元ヒロ@コア池袋。
多分数ヶ月前、Facebookで見つけたライヴ情報。映画とヒロさんのライヴってことで、なんとなく面白そうだったので「参加予定」にしていたのだが見事にそのまま忘れていた。そしたら数日前に主催の方から「ドタキャンOKだからチケット取り置きしておくぜ」とのメッセージ。ありがてえ。忘れててごめん。
で、行ってみるまで全然知らなかったんだけど、ワーカーズ・コープ(存在もしらなかった)に関するドキュメンタリー映画でした。とはいってもドキュメンタリー部分と完全なフィクション部分があって、そのフィクション部分がイントロとしてドキュメンタリー部分を軽く紹介する・・・なんだかわかんなくなっちゃった。とにかくそこにヒロさんが松元ヒロとして演技してるっていう、そんな縁でじゃあライヴも一緒に、って流れみたい。映画は、映画作品としては正直面白いものではなかった。繋げてるだけ感が強く、もうちょっと編集・演出で凝ってもらいたかったかなー。でも宮崎美子のナレーションは優しかった。胸きゅん。
で、松元ヒロライヴ。ヒロさんはやっぱりヒロさんで、しっかり泣かせて笑わせて唸らせる。長生きしてもらわなくちゃ困る人筆頭だと思う。
主催の、というかメッセージをくれたのは飯沼さんという女性で、実際に話してみたらとても元気溌剌でなんでも来い!な感じの肝っ玉かあちゃんでした。ヒロさんのファンだから来たとの話をしたら「じゃあアンタも打ち上げいらっしゃい!」と暖かい言葉。しかし流石にそれは空気読まなさすぎなので、丁重にお断りして、とは一瞬も思わなくて「やったー。じゃー行くー!」との運びとなりました。
ワーカーズコープな人達とかその他のお客さんお友達とヒロさんとみんなでわー。つっても僕が喋ってたのは実質3人だけだけどね。
なんにせよ皆さんありがとう。ずうずうしいって得だね。ホントすみません。

2回目の病院。
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朝イチでCT。移動棺桶をイメージしていたのだが、椅子に腰掛けてウイウイしている音を聞きながら目をつぶっていたら終わっていた。
そのあとすぐ診察。12月にもう一回、そして1月にもう一回、そして1月末に手術。これが最短コースだとのこと。入院は一週間。真ん中の曲がった骨(「>」みたいになってるヤツ)を取るって。というより削るってことかな。向かって左側が右鼻、右側が左鼻。「>」の両側の黒い部分がいわゆる穴。この角度だと左が完全に塞がってる。別の角度で見ると右は奥の方で塞がってる。要するにどっちもダメってことだね。
恐ろしい本当に恐ろしい。全身麻酔なのは不幸中の幸い。でも恐ろしい。
診察が終わったら、もう会計すぐ出来ますよ、とのことでそのまま自動会計機で支払い。病院の敷地に入ってちょうど一時間だった。いつもこうならいいのに。
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終わってから外苑巡り。エラそうな建物があったので何かと思って近寄ると、絵画館。なんでも明治天皇に関する絵があるとか。まあヒマなので500円払って入ってみる。
入るとすぐの広間?ロビーを挟んで左右に分かれる展示室(というか通路)。1番から80番(覚えてない)くらいまでの大きな大きな絵が並ぶ。サイズも一緒で、そもそもここに展示するつもりで描かれたのか?だとしたらすごいよね。明治天皇の生まれてから死ぬまで、要所要所でのスナップ、みたいな?
右を見終わった時点で1878年。左も1878年だか79年から始まる。すると何故かここから絵のタッチが変わる。右は日本画(という括りでいいのかは分からないけど)。よく見る織田信長の肖像画みたいなタッチ。左の間は西洋画(という括りでいいのかは分からないけど)。なんで?画家はほぼ一枚ごとに変わっているみたいだけど、絵のスタイル?は完全にここから変わる。ちょうど右から左に変わる時、でも1878年って別にそれほど大きな転換の時でもないように思うし。
で、係員に聞いてみた。「う〜ん、まあ、何か変わったんでしょうね〜。」がっくし。
各絵には、キャプションが付いていて、○○年の何の時で、これが誰々さんで何をやってる、って分かりやすく教えてくれるんだけど、天皇、皇后には「陛下」って付けないのね。もちろん「・・・興味を示された」とかとても丁寧な言葉遣いなんだけど、主語は「天皇」。そうか、現役の人にしか「陛下」って付けないんだね。すごく勉強になった!
で、係員に聞いてみた。「う〜ん、そう、なんですかね〜。」がっくし。
絵が展示してある長廊下に、ポツンポツンと設置してあるなんとなく洒落た黒い物体。あれは、多分。
で、係員に聞いてみた。「そうです、ストーブです!昔は使ってたようですね」すっきりした〜っ!流石プロ!「石炭、じゃないですよね?灯油ですか?」「う〜ん、なの、かなぁ?」ここまで来るとむしろ快感。
そのあと近所をプラプラ。そしたら青山に着いちゃった。びっくり。青山ってこんなところにあるのか。しかもお洒落だし銀杏とか。
でも飽きたので池袋へ。
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西武で吾妻ひでお原画展。
そして渋谷へ。
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『ミッドナイト・ガイズ』。
疲れまくって腰にも相当な負荷。帰る。

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NEKKO展、でいいのかな。千住大橋なるところで、新進気鋭の三人の靴職人たちの展覧会に行ってみた。
行った理由は単純にお知り合いなので、ということで、大変申し訳ないことに一体どんな感じのものなのか想像も出来ないのではなくて想像さえしていなかった。ただ単純に「おお、靴か。木靴の樹。かっこいー。よくわからんけど」くらいなフィーリング。ただの冷やかしだと言われても反論できない。
で、行ってみて驚いた。
まず観てみたのが本間裕子。何故?靴がない。12枚(だったかな?)の鉛筆画が壁に飾られ、テーブル上の数枚の真っ白なキャンバス(確か発泡スチロール)に無造作に置かれた大小数個の白い玉(多分粘土)。ああ、どうしよう。アバンギャルドすぎる。
降参して本人の説明を受ける。壁にあるのは彼女が子供時代(小学生?〜高校生?)に不得手だったり疎かったりしたものたちの絵。ぬいぐるみだったりスケボーだったり、ちょっとした体操着の着方だったり。あぁ、あるあるある。なんかこれで一歩近づいた。そして自らの内面を映し出すキャンバス(と敢えて呼ぶけどよくわからない)上で、その苦手意識のあったものを軽〜く、ポンっと無色透明(実際はずばり白です)の玉で消していく、若しくは隠していく、若しくは浄化させる、若しくはとりあえず、忘れる。だからひとまず、克服する。
もう既に半分以上勝手な解釈になっているのだけれど、数枚のキャンバスは昨日と今日と明日でもあるし、友達と会ってる時と仕事の時と実家に帰っている時でもある。そしてそれぞれのキャンバスに置かれた玉は全てレイアウトが変わる。だから苦手だと思ってたものなんて案外不変的なものでもなく、時間や環境や気持ち一つで変わるんじゃん?みたいな?でも現実的にキャンバスに一つも玉を置かないなんていうこともなく、「この人の前だったら私は全てをさらけ出せるのよ」なんてステキなことを言ってても、実はどこかの何かを隠している。それを忘れているだけなのかもしれない。もしかしてシャボン玉で隠してるからイメージをまったく変えて捉えられているだけなのかもしれない。
・・・なんてことを帰りの電車の中であれこれ考えてしまって、ヤバイおれは相当な妄想癖があるのだなと怖くなってきたので本間はこのへんで終わりにし、続いてみたのが我等が伊折淑子。世界一周楽団やJOYRIDEのスーパースターの、あの彼女である。
彼女ほど、「ものづくり」という言葉をかみしめ、ありがたがり、楽しんでいる人を僕は他に知らない(というほど知らないけど)。でも作品(三組の革靴)を見る限りでは結構その感覚も間違っていないと思う(妄想だけど)。実用性、フォルム、素材のバランスが素人目に見ても気持ちが良く、(見た目だけの判断だけど)履き心地の良さが目に浮かぶ。
先人たちから受け継いだものを忠実に学び、いちいち感動してそれを自らの手で再現再生したことにまたいちいち感動する。職人の原点ってここでしょきっと?生産者の喜びみたいのを身を持って知っている人なんだと(これまた勝手に)思う。
きっと彼女は野良仕事とかやってもすごい才能を発揮するんだろうなぁ。
そして最後に大島敦子。こりゃまたスゴイぞ。靴は靴なんだけど実用性には見向きもせずにひたすら存在感を突出させている。自らの情念(念のためこれも超勝手に書いてます)を全部靴に注入しまくり。世界はサイバー!
そのあとなんとなく彼女と話し込んじゃって、色々と前職の話とか聞いていたら、あぁなるほどそれがここに、おぅおぅそれがあれか、と(もちろん勝手に)合点がいき、すげぇいい気分。細部のこだわりがいわゆるパない感じで、ひっくり返したり中見たり、結構作品いじりまくり。
脈々と息づくものを伝承していく中で、ポツンっと小さな一石を投じ、その後の流れを静かに見守ろうとする伊折に対して、既存の価値観の破壊者であり、後続を許さない大島。素材と加工と言ってもいい。天然と虚像と言ってもいい。継続と瞬間と言ってもいい。
まあ、言ってもいいだろうけど勿論すごく勝手に言ってるだけで、大抵ライヴとかで熱くなった時に熱くなりまくりの日記を書いて、後になって本人にそれっぽい話をすると「まったく意味不明です。」と全否定されたりするので、今回もそのパターンだという自信はかなりある。空振り意味不明に関しては僕も職人を名乗っていいと思う。
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実際、現地に着いたのが遅かったんだけど、それよりもおじさんが必要以上に長居長話をしてしまっていたのも問題で、あっという間に片付けタイムを迎えていた。久々に(勝手に)意味不明に盛り上がっていたのだけど、後ろ髪引かれる思いで店(っていわねえのか)をあとにした。
しかしなんでこんなにバラバラなのかね三人とも。一緒じゃ確かに見てる方は面白くないんだけど、ここまで方向性が違うものをさあ一緒にやってみようぜ、という最初の発想が実にうらやましい。
そもそもタイトルもね。現在(イマと読んでください)を通して根っこを見せる?みたいな?いいじゃないすか〜。
三人の通う靴制作の専門学校の授業の話もちょこっと聞かせてもらったけど、ちっとも単純な靴作り講座じゃないんだもん。参っちゃったよ。なんというか、イメージの仕方、内面との向き合い方、そして発露の加減。多分そんな感じ?勝手に。
なんにせよすばらしい。Es La Esperanza Aqui! ←これちょっと自分の中で流行ってる。
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すっかり心の導線に火が点いたぜーと盛り上がりながら帰途に着いたんだけど、自分の部屋で腰掛けてちょっと落ち着いたらふと目が覚めた。
これ、男三人の展示だったら絶対こんなに盛り上がってないんだよな。

今日までだということで、あわてて馬場のぼる展へ。
原画は初めて見たけど、なんと美しいタッチなのでしょう。モーレツに感動しちまった。
Tシャツを10種類くらい買い占めようかと思ったのだが、物販には「キッズ用」が一種類しか置いてなくて、なんだか恥ずかしい気持ちにさせられた。
でもしゃくだから帰ってきてからネットで検索しまくって、ようやく見つけたのは「レディース」L。
でも意地だから注文しちまった。
とにかく馬場のぼるはサイコーだよ!

ラジオデイズのトークショー。『ライヴ・9条どうでしょう』。内田樹・小田嶋隆・町山智浩・平川克美。
まあ面白かったんだけど、ちょっとまとまんなくなっちゃったかな。そこがおもしろいんだろうけど。
途中、聞き違いかもしれないけど、平川さんが自民党草案を指して、「国民投票の投票数の半数にするなんてひどいよね」とか言ってたような。今もそうだよね。有効投票数?の半分でキマリ。だからこそ、なんかのゴタゴタの時にしれっと発議なんかされちゃった日にゃ、案外国民投票も通っちゃうかもしれない。やっぱり国会の三分の二ってのは絶対的に大事な話だ。町山さんの「本当は国民投票も三分の二にしたい」という意見には大賛成。実際にそれを変える(つまり憲法改定しちゃう)のは怖いけど。
改憲派の人達が「自立して自前の憲法を」という割りに対米従属路線を突き進んでいて矛盾している、という話。ここはなんとなく違和感。ケンカに大負けしていじめられまくった(という自覚のある)人間からしてみれば、日米安保というヤツは、「対等である為の」何物にも勝る条約だったように感じる。少なくともそう言い張ることが出来ると信じられるものだったのではないか。外からみたら大いなる矛盾であっても、当人からすればそこにしがみついて正当性を信じていかないことには精神が破綻しちゃう。そんな心境だったのではなかろうか、と。きっとあの当時の日本からすると、「あの」アメリカと協力体制を取れるくらい「自立」した、そんな気分だったのではないでしょうか。
内田さんは、改憲は参院選の争点にはならない、と大胆予測。え〜っとか思ったけど、当たってほしいなぁ。
小田嶋さんが、憲法学者から聞いた話で云々・・・なんかとても面白い話だったんだけど忘れちゃった。
文京シビックホール、床がギシギシ鳴りすぎてイヤでした。