NEKKO展、でいいのかな。千住大橋なるところで、新進気鋭の三人の靴職人たちの展覧会に行ってみた。
行った理由は単純にお知り合いなので、ということで、大変申し訳ないことに一体どんな感じのものなのか想像も出来ないのではなくて想像さえしていなかった。ただ単純に「おお、靴か。木靴の樹。かっこいー。よくわからんけど」くらいなフィーリング。ただの冷やかしだと言われても反論できない。
で、行ってみて驚いた。
まず観てみたのが本間裕子。何故?靴がない。12枚(だったかな?)の鉛筆画が壁に飾られ、テーブル上の数枚の真っ白なキャンバス(確か発泡スチロール)に無造作に置かれた大小数個の白い玉(多分粘土)。ああ、どうしよう。アバンギャルドすぎる。
降参して本人の説明を受ける。壁にあるのは彼女が子供時代(小学生?〜高校生?)に不得手だったり疎かったりしたものたちの絵。ぬいぐるみだったりスケボーだったり、ちょっとした体操着の着方だったり。あぁ、あるあるある。なんかこれで一歩近づいた。そして自らの内面を映し出すキャンバス(と敢えて呼ぶけどよくわからない)上で、その苦手意識のあったものを軽〜く、ポンっと無色透明(実際はずばり白です)の玉で消していく、若しくは隠していく、若しくは浄化させる、若しくはとりあえず、忘れる。だからひとまず、克服する。
もう既に半分以上勝手な解釈になっているのだけれど、数枚のキャンバスは昨日と今日と明日でもあるし、友達と会ってる時と仕事の時と実家に帰っている時でもある。そしてそれぞれのキャンバスに置かれた玉は全てレイアウトが変わる。だから苦手だと思ってたものなんて案外不変的なものでもなく、時間や環境や気持ち一つで変わるんじゃん?みたいな?でも現実的にキャンバスに一つも玉を置かないなんていうこともなく、「この人の前だったら私は全てをさらけ出せるのよ」なんてステキなことを言ってても、実はどこかの何かを隠している。それを忘れているだけなのかもしれない。もしかしてシャボン玉で隠してるからイメージをまったく変えて捉えられているだけなのかもしれない。
・・・なんてことを帰りの電車の中であれこれ考えてしまって、ヤバイおれは相当な妄想癖があるのだなと怖くなってきたので本間はこのへんで終わりにし、続いてみたのが我等が伊折淑子。世界一周楽団やJOYRIDEのスーパースターの、あの彼女である。
彼女ほど、「ものづくり」という言葉をかみしめ、ありがたがり、楽しんでいる人を僕は他に知らない(というほど知らないけど)。でも作品(三組の革靴)を見る限りでは結構その感覚も間違っていないと思う(妄想だけど)。実用性、フォルム、素材のバランスが素人目に見ても気持ちが良く、(見た目だけの判断だけど)履き心地の良さが目に浮かぶ。
先人たちから受け継いだものを忠実に学び、いちいち感動してそれを自らの手で再現再生したことにまたいちいち感動する。職人の原点ってここでしょきっと?生産者の喜びみたいのを身を持って知っている人なんだと(これまた勝手に)思う。
きっと彼女は野良仕事とかやってもすごい才能を発揮するんだろうなぁ。
そして最後に大島敦子。こりゃまたスゴイぞ。靴は靴なんだけど実用性には見向きもせずにひたすら存在感を突出させている。自らの情念(念のためこれも超勝手に書いてます)を全部靴に注入しまくり。世界はサイバー!
そのあとなんとなく彼女と話し込んじゃって、色々と前職の話とか聞いていたら、あぁなるほどそれがここに、おぅおぅそれがあれか、と(もちろん勝手に)合点がいき、すげぇいい気分。細部のこだわりがいわゆるパない感じで、ひっくり返したり中見たり、結構作品いじりまくり。
脈々と息づくものを伝承していく中で、ポツンっと小さな一石を投じ、その後の流れを静かに見守ろうとする伊折に対して、既存の価値観の破壊者であり、後続を許さない大島。素材と加工と言ってもいい。天然と虚像と言ってもいい。継続と瞬間と言ってもいい。
まあ、言ってもいいだろうけど勿論すごく勝手に言ってるだけで、大抵ライヴとかで熱くなった時に熱くなりまくりの日記を書いて、後になって本人にそれっぽい話をすると「まったく意味不明です。」と全否定されたりするので、今回もそのパターンだという自信はかなりある。空振り意味不明に関しては僕も職人を名乗っていいと思う。
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実際、現地に着いたのが遅かったんだけど、それよりもおじさんが必要以上に長居長話をしてしまっていたのも問題で、あっという間に片付けタイムを迎えていた。久々に(勝手に)意味不明に盛り上がっていたのだけど、後ろ髪引かれる思いで店(っていわねえのか)をあとにした。
しかしなんでこんなにバラバラなのかね三人とも。一緒じゃ確かに見てる方は面白くないんだけど、ここまで方向性が違うものをさあ一緒にやってみようぜ、という最初の発想が実にうらやましい。
そもそもタイトルもね。現在(イマと読んでください)を通して根っこを見せる?みたいな?いいじゃないすか〜。
三人の通う靴制作の専門学校の授業の話もちょこっと聞かせてもらったけど、ちっとも単純な靴作り講座じゃないんだもん。参っちゃったよ。なんというか、イメージの仕方、内面との向き合い方、そして発露の加減。多分そんな感じ?勝手に。
なんにせよすばらしい。Es La Esperanza Aqui! ←これちょっと自分の中で流行ってる。
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すっかり心の導線に火が点いたぜーと盛り上がりながら帰途に着いたんだけど、自分の部屋で腰掛けてちょっと落ち着いたらふと目が覚めた。
これ、男三人の展示だったら絶対こんなに盛り上がってないんだよな。

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