先週、好きだった女の子にフラれ、というかそのフラれ方が壮絶すぎてけっこうなレベルのキチガイになってしまって、自分でも驚くほど憔悴してしまっている。
フラれることに関してはそれなりに経験豊富で、その都度しっかりメソメソクヨクヨしているので全然慣れっこだと思っていたのだが、いや今回のこの弱りっぷりには我ながらビビっている。
今までの経験上は、大概が底なしの自己憐憫の沼に沈み込んでしまって、ここからどう這い上がるのかが大事なテーマになるのだが、今回はそういうステップを踏まずに、一気に自己嫌悪と自己否定の方向に突っ走ってしまった。
さてこれはツライ。ツライけどそう思わないことには先に進まない、ような気になる。ああすれば良かった、こうすれば良かったとか後悔のレベルでなく、もう存在がそもそもダメ、という強い意識。その意識を持って先に進むってどういうことなのか自分でも分からないけど、でもホントそんな感じ。
今回初めて、自死に陥っちゃう人の感覚がなんとなく分かった気になった。今までも分かってはいるつもりではいたのだけど、もっと肌感覚で感じたというか、主体的に、選択肢としてそういうものも確かにある、と思えた。とても大袈裟な話だし、実際にそうなってしまった人に対して失礼でエラソウな態度に写ってしまうかもしれないけれど、僕は僕なりに、しっかりと実感してしまったのだから、多分間違えているということでもないと思う。
多分この程度の、ちっぽけなことが瞬間的に自分の中で大きくなって暴発して、コントロールが効かなくなる。こんな小さなことが大きなことへのキッカケになる。そんな実感。
その選択肢を意識してしまった時に実際に行動に移すかどうかってのは多分ちょっとした(そして勿論ものすごく大きな)違いなのだろう。それは猫とかウクレレとか死後に家族がやらなきゃいけない手続(父親の死でそれを知った)とかネット上に残る僕の痕跡とか、正直生死の前ではとても小さくてめんどくさいこと。だからそういう「めんどくさい」ことを考えるのがとてもめんどくさいから全部放棄しちゃっていいと思っちゃうのか、「めんどくさい」ことを考えるのがとてもめんどくさいからその選択肢が小さいままでキープされるのか。
僕は後者だった(少なくとも今のところは)。ホント、良かったわ。まだコントロールが効いているというのか。
ちょっと逆説的な言い方になってしまうけど、その選択肢があることがわかったからこそ前向きにいられるってこともあるような気もするのだ。
もちろん、かと言って日常生活がラクになりましたってことでは全然なくって、日々悶々とし続けている。眠れない。食事が取れない。集中力がゼロになる。
ふと鏡を見るとなんだか痩せてる。気になって体重計を引っ張り出してくると、二週間前の職場の健康診断時から7kg落ちていた。わーお。あえてポジティヴに言うなら、贅肉がなくなったものだから腹筋が見えてきた。でも同時にあばらもしっかり浮いてきているので胸からへそまでボーダー模様になっているぞ。
あわててコンビニに行き、ジャンクを買い込み喰らいまくる。こういうことやってるから駄目なんだよとも思うが、まあ緊急措置ってヤツで。
結果、猛烈に気持ち悪くなって寝込む。やっぱりなと思いながらまた自己否定が始まる。そして眠れない。
悶々。