棚橋さんが死んでしまった。
8月にツイッターで、入院する旨の書き込みがあったけれど、正直その時はさほど心配もせず、またすぐ出てくるだろうなんて軽く考えていた。何年か前にも入院したことがあったはずで、その時の方が心配していたのだが、「もともとあまり調子よくないからね〜」とだけ言って、あまり詳細は語りたがらなかった。勿論いちいち聞きたがるのも趣味悪いし、なんせライヴも行くし肉も食うし酒も呑むんだから、なんか持病があるのね程度の認識のまま、なんとなく忘れてしまっていた。
僕がどうしたって、彼がいなくなるのを止められるわけではなかったけれども、それでもやっぱり、この先少しずつ忘れていってしまうような他愛もない数々の事柄を、ふと後になって思い出すことがあったとしたら、それはどうしたって辛い瞬間になる、ような気がする。少なくとも今はそう感じてしまうシーズン。
だからこれ以上忘れてしまう前に(そして数年後にふと思い出して悲しくなったりしないように)、思いつくまま棚橋さんのことを書き綴っておこうと思う。
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棚橋憲治。男。45歳、かな?k_turnerというハンドルネームを使っていた。
音楽ライター。その見事な文章構成力と底なしで抱負な知識には毎度毎度うならされた。
音楽写真家。アナログフィルムの質感にこだわったその作品は、鮮やかさより奥行き、光源より空間を追求した仕上がりで、そのへんの音楽雑誌に掲載される写真よりも遥かに、現場の多くのことを語ってくれた。
反原発の人。野次馬根性は皆無で、徹底的に地道に抗議活動に参加して案外野太い声を聞かせてくれた。出来ることならデモを撮影した棚橋さんの写真が見たかった。
自分のことを「私」と呼んでいた。礼儀正しすぎた。融通の利かない男だった。失礼な振る舞い、テキトーな考えを嫌った。よく、僕との付き合いを続けていてくれたと思う。これは心底思う。
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棚橋さんと初めて知り合ったのは多分2000年。長いと言えば長いけれど、短いと言えば確かに短い。
そもそもの始まりは、ニック・ロウのサイン会で知り合ったコージに紹介してもらったことがキッカケ。コージはクラウデッド・ハウスだかニール・フィン、僕はコール・ポーターズだかシド・グリフィンに夢中になっていて、それぞれウェブ・サイトを立ち上げたりしていた。友達が僕よりも圧倒的に多いコージに、カントリー・ロック系とか強い人いないかね、コール・ポーターズとか来日させたいんだけど協力してくれる人いないかね?と相談して、棚橋さんに辿り着いた。多分そんな感じ。
「じゃあ木曜の夜に会いましょう。新宿のローリングストーンで」とかメールもらって、「でも私、打ち合わせしているので分かるかな?まあとりあえず現地で」みたいな感じで、それなりに客が入っていてどれが棚橋さんか分からなくて、そういうお店初めてでドギマギしちゃって、結局一人で数杯呑んで、そのまま出てきちゃった。でしばらく会えず、メールだか掲示板だかでなんとなく連絡を取り合って数ヶ月だか数年が過ぎた(ような気がする)。
2001年の暮れから数ヶ月間イギリスに遊びに行っていて、その時もメールのやり取りをしたり、僕が向こうで見つけたバンドのCDを送ったり、棚橋さんに本を送ってもらったりしてた。仲いいな〜。
実際にホンモノと会ったのは2002年9月(日記に書いてあった!)。その時はコール・ポーターズどころか音楽ネタでもなかった。当時棚橋さんは、ダウンタウンだかなんだかがテレビでやってた、面雀とかいう遊びに凝っていて、その大会(既に数回目)を開くのでトットさんもどうですか?と声がかかり、なんとなく遊びに行って、数名の初対面の人達とわーわー騒いで、そのまま呑んだくれて調布のアパートで一夜を明かした。
夜、音楽話をしていて、何かの折に「今はネットでタダでダウンロード出来るからね」と僕が言ったら、「それはダメですよ絶対私はやらないなー」と即座に返って来たのを良く覚えている。棚橋さんは海賊盤は認めるけどネット上でのファイル交換は認めないという立ち位置だった。僕はその逆(というか海賊盤は当たり外れが多い上に種類が多すぎて有料でとても手が回らないという理由でほとんど買わなかった)だったので、詳しい理屈は忘れたけど熱く語っている棚橋さんの絵面(窓際に仁王立ち−たまたまCDラックを見ている時だっただけだけど)が印象的だった。日記では一切触れてなかったけど。
で、ふと気になって僕の日記を「ターナ」で検索してみた。そしたらびっくり!出てくる出てくる(たまに「インターナショナル」なんてのもでてくるけど笑)。
まあ10年間だし、この日記は音楽ネタ、トトチャンネタが多いのでね。でも正直びっくりだ。はっきり言ってこれを読み返していて、これ以上書く気失せちゃうくらいだぜ。
一緒に談志を観に行ったり、イッセー尾形を観に行ったりもしている。なんて仲がいいんだ笑!思い出して笑いが止まらなくなってきたぞ。
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さて、ではTot-Channelのこと。
僕は多分、棚橋さんがいなかったらここまで日本の音楽シーンに興味を持っていなかったと思う。つまりTot-Channelを(少なくともこんな形では)始めていないと思う。大袈裟に言いたいわけでもないしドラマチックにしたいわけでもないけど、これはきっと事実。実際、最初は海外の音楽に強い人というイメージしかなかったから、日本のライヴハウスシーンに関して詳しい話をされてびっくりした記憶がある(これも多分面雀の時)。
そんな棚橋さんがNYLONを薦めてくれて、さほど積極的でなく観に行って、そしてぶっ飛んで、それまで漠然とした構想でしかなかった動画配信サイトを一気に具体化させることになった。だから、僕が夢中になったマモル&ザ・デイヴィスにしても、棚橋さんは大昔から観ていて、僕が知らなかった時代のことも余裕で知り尽くしていた。
僕が唯一、棚橋さんにとっていいキッカケづくりが出来たなと思えることは、マモルさんに棚橋さんを紹介出来たこと。別に紹介したかったわけでもなんでもないけど、マモルさんのDVD作りを手伝わせてもらった時に、せっかく内容がかっこいい(被写体だけでなくカメラもね)んだから、自分好みの写真と自分好みのライナーをつけたかった。体裁的にもそういうものがあった方がそれっぽく仕上がるので。そしてそれをたまたま棚橋さん一人で賄えたという、ただ単にリーズナブルな理由だったのだけど、あとになって棚橋さんからメールで「マジで感謝する」と言われた時には、ちとびっくりして、戸惑い7と喜び3くらいで嬉しかった。
色んなバンドを観ていて、ずーっと長い時間そういう世界にいながら、棚橋さんは「オレがオレが」と出て行かず、ミュージシャンとエラソーな友達面もせず、地道に応援を続ける人だった。そこがすごかった。そして熱くなりすぎず(NYLONと住所は別ね笑)常に客観的にバンドの在り様を見て、受けた感動をしっかり租借してから表に出せる人だった。うん。ありゃーたいしたもんだった(エラソーに言わせてもらう。もう本人読めないから)。
そんなわけでマモルさんと2枚目のDVDを作ろうという話になった時は、すぐさま棚橋さんにも参加してもらって、帰省の準備で忙しい中、色々アイデアを出してもらって構成も手伝ってもらった(最終的には3人共思惑から外れた形で仕上がったけど結果オーライ)。
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そういえばもうちょっと、原発のこととか政治のこととか話をしてみたかったと思う。基本的に棚橋さん、酒呑んで気持ちよくなると音楽話ばっかり。いわゆる音楽バカだった。だからあんなに原発に対して意識の強い人だということも3.11のあと初めて知った。何度かデモで会ってそのあと呑んだりもしたけれど、多分そんなに熱い話はしなかったんだと思う。若干の立ち位置というか認識の違いがあるのではないかと感じて、なんとなく互いに深く行き過ぎないようセーブしていたような気も、今だからする。良く分からない。覚えてない。酔っ払ってたし。
いなくなってから今更「会いたい」なんて言うのはちょっと勝手な話だとも思うので、そういうことは書かないけれど、今更会いたい、とはやっぱり思っている。
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もう一回コール・ポーターズの話。
もともとのキッカケはコール・ポーターズにあった訳で、7月くらいにシド・グリフィンから「9月に出るCPsのニュー・アルバムの宣伝してくれる人いないかな?」と聞かれた時、思い浮かんだ一人が棚橋さんだった。そのままさっさと話を進めればよかったのだが、僕が忙しさにかまけて誰にも(シド・グリフィンにも)連絡をせず、だいぶ時間が経ってからとりあえず住所わかる人だけシドに伝えて、棚橋さん含めてあと何人かは住所を調べてから第2弾で・・・と思ってたらあの人入院しちゃった。そして冒頭に書いたように「どうせすぐ出てくるからそれからでいいや」なんて高をくくってて連絡しなかった。
心残りなのがこれ。実際のところ、ツイッターの書き込みもなかったのだからメールの返信もままならなかっただろう。CDレヴューなんて出来る状態じゃなかっただろう。だけど問題はそういうことじゃなくて、もう僕は棚橋さんにメールすることも電話することも出来ない、というか、しないということ。
あの時(入院前だったら一番良かったんだろうが)なら出来た。留守電にも残せた。返事がなくてもとりあえず出来た。でももう、出来ない。というかもうしない。ごめんね。
困っちゃったので、シドにツイッター経由で伝えてみた。実はこういう友達がいたんだけど昨日死んじゃったんだ。って。だからどうしたって話なのだが、シドから「アイム・ソーリー」ってリプライが来て、なんとなく落ち着いた。シドも困っただろうけど、まあこれでいい。連絡したい時に、ぶっちゃけ相手の都合は無視して、伝えたいこと伝えなくちゃ。そんなわけでシドありがとう。
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棚橋さんは、文章でのあの人の表現ほどにはスパっとした切り口を売りにする人ではない。活発な感じもしない。あの数々の写真のような激しさもない。でもやっぱりあの文章のように落ち着いていて、あの写真のように優しい。
あまり話術は巧みな人ではない。相当内気だし、イケメンでもない。でも感情にまかせて暴言を吐いたり、人の悪口を言ったりする人では全然ない。
堅苦しいおっさん(2歳上だしね)で、とても不器用な部類に入る人だと思う。だけれど、何故か連絡してたね事あるごとに。不覚にも。
多分あの人は、僕の持ってないところをいっぱい持っていた。それは何かっていちいち挙げない。もう既にかなり書いているから。だからあの人といると、とてもいいバランスが(勝手に僕の中で)作れていたのじゃないかな、と今ふと思いついた。棚橋がいて谷川がいて、という構図がとても僕には居心地が良かった。チームとかコンビとか言うつもりは毛頭ないけど、(あくまでも僕が勝手に)どこかで意識して念頭に置いていたんだろうと思う。まあつまり甘えていたんだあの人に。
でももう会えなくなっちゃったってことがはっきりしてきたので、今後の振る舞いを僕も考えていかなきゃいけない。
棚橋さんのとても棚橋さんだった部分を、今後は僕の中で、それなりに育んでいこうと(少なくとも今は)思ってる。
多分今後は、(今まで以上に)棚橋さんを意識することがあるだろう。もしそうだとするならば、意識出来る内は精一杯目一杯意識させてもらおう。そして、だんだんと思い出さなくなっていく、のかな。
まあそれならそれでいい。意識しなくなる頃はつまり、棚橋さんのおいしい部分を、ある程度はパクり終えてる時だろうから。
だから棚橋さんありがとう。愛を送ります。ゆっくりおやすめ。
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仕事の合間合間に少しずつ書いています。これを全部棚橋さんに口頭で伝えて、構成を含め全部書き直してもらえれば、かなり楽しく感動的に、でも感傷的にならずに仕上げてもらえるはずです。
ここはいっぱつ、頼むよターナー。
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