Tot-Channelのアンケートでリクエストに上がっていた一人がこの岩崎健一である。行こう行こうと思いつつも機会を逃していて、半ば諦めていたというか忘れていた頃に何故かぷじが観に行って、「良かったよ良かったよキャー!」との報告が入ったので、僕の重くて脆い腰もようやく動き出したわけである。
吉祥寺の曼荼羅。大昔に一回来たことがあったはずなのだが、道も内装も完璧に忘れていた。こんなに空気の重い所だったっけか。さすがに「弾き語り」の人達を4組とか聴くのはキツかろう(すいませんな)と思い、ほどほどに遅刻して入場、一人が終わり、すぐイワケンの出番となった。
イワケンが言う。「こないだ、『色気が足りない』と言われまして・・・。」
無論、これは会場の笑いを誘う、微笑ましいMCであるのだが、やっぱりそこが大事なのだろうな、と思う。根本的にいい曲を書くし、切実な言葉を使う。彼の根底に流れる愛が歌にしてもMCにしても行間から溢れ出てくる。ぐっと来る人も多かろうと思う。しかし残念なことに今の世の中、彼の愛をご馳走になるには、擦れすぎてしまった人間がもっともっと多すぎる。「こないだ」彼にそう言った人の真意は知る由もないが、なるほど言いえて妙、なかなか的を得た意見ではなかろうか。
最近は「チョイ悪」などという品性の欠けた言葉が流行っている。これは、根底に善の血が流れている人がその善をオブラートに包み、それとは違う外面を見せる人のことを指す。根っからの悪いヤツと感じられる人にこの表現が使われることは決してないのだ。そして、言葉が流行るってことはつまり、支持されちゃってるってことだ。外面や振る舞いは悪っぽいけど実はいい人っていうギャップに、(それ自体がそもそも勘違いであっても)今の世の中は絶大なる信頼を寄せている。既存のイメージとの違いを見せようとして中身は実は今までの先生方のイメージを更に強力にしたものであった、という某国の首相(そろそろいなくなる人ともうじきその座に収まる人)が異常とも言える支持を獲得したのとある意味同じことだ。イメージ・コントロールが大事であるなんて大昔から言われていることだし、真島昌利だって歌っていたことだけれど、それがなかなか上手く機能していない表現者も、やっぱり残念ながら多いのだ。
さて我等がイワケン、絶対いい人に決まっている(と思われている)彼が、正しい(と思われる)視点から、美しい(と思える)言葉を投げかけてくると、結果的にその言葉は遠くに感じられる。これは僕自身がそう感じてしまうことが非常に残念なのだけれど、やっぱり認めざるを得ない事実だ。性格を変えろなんてそりゃ無理な話だが、ちょっと一行、ちょっと1フレーズ、チョイ悪な所、チョイ色気な所を見せてくれるだけできっと、彼の言葉は飛躍的にダイレクトに伝わってくるような気がしてならない。
売れることだけが大事なことでは決してないけれど、岩崎健一のような人こそ、より多くの人にその声を伝え、世に問いかけることを必要としているはずなのだから、そんな色気は、やっぱりあってもいいと思う。
この世の中、いい人は大抵損するように出来ている。オレ様を見れば分かるだろう!?
http://members2.jcom.home.ne.jp/tot-channel/031iwaken.htm

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

Post Navigation