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第二話 玉川裕高 (赤い夕陽/The Bucketeers/Swinging Doors)
2010-09-15
1995年頃、友達に薦められて(多分)コモンビルを聴いてその存在を知った。おぅいいねえ!と思ったかもしれないけれども瞬く間に興味は他に移って(若かったからね)、それからずっと忘れてて、2007年に「エノッキーのやってるカントリーバンド」を撮りに行ったらそこで歌ってたのが「あの」玉川さんだった。「あの」人に抱いていたイメージと、今ここでフニャフニャに歌っている「この」人の実像とのギャップにどうも馴染めなくって、やっぱり別人なんじゃないかと長い間疑っていたのだが、本人に確かめてみたらやっぱり「あの」玉川さんだったというわけ。
それからスウィンギング・ドアーズの存在も知って、そこで村中靖愛の存在も確かめられて安心していたら、突然の脱退劇。そして新バンドがテリー島村グループとのジョイント、かつバンド名が「赤い夕陽」。なんなんだこりゃ。
で実際観てみて、スゴカッタ。
タマちゃんだけでなく、テリシマグループの面々までもがとてもイキイキしてた。
このオトコは面白いなと思った。昔聴いたあの音から連想されるイメージと、実際に接した時のあのギャップと、一つバンドを辞めてまで彼が新しく始めたかったものを観たその時の衝撃を、一つ一つ検証してみたいな、と思った。
そんなわけで、呑みに誘ってみた。
場所は新宿東口の居酒屋。最初は二人とも幾分緊張気味で、とりあえず、生。
それから揚げ出し豆腐(店員「おでんの方でよろしいですか?」 僕「おでんじゃないのもあるんですか?」 店員「あ、はい。」 玉「じゃ普通ので。」
店員「普通の・・・ですか?」 僕「普通の揚げ出し豆腐はないんですか?」 店員「いや、それはちょっと・・・」 玉「あ、どうもすみません。それじゃおでんの方でお願いします」って録音されてるけど何この会話)とアスパラベーコン巻とアボカドのウニ焼き。そのあとビールは無数に飲んでる。
===
Tot - はい、乾杯。
玉 - おつかれさまですーっ。
Tot - ・・・で実はですね。調べたんですよ、玉川裕高を。
玉 - はいはい。
Tot - これ、年表を作ったんですよ。あの、サイトがあるでしょ?昔からある、ファンサイト 、かな?あそこから丸写しした部分が多いんですけど。
玉 - (メモ書きを見て) うおぉ、すっごいなぁ。すみません、僕自分でも覚えてないんで。・・・うわすごいなぁコレ。・・・あ、あのサイトね、前岡君って今ドイツに住んでる人で、僕もそんなに親しい間柄じゃないんですけど。ファンと知り合いの中間くらいの人で。
Tot - ふ~ん。ま、今日のテーマは「玉川裕高、全キャリアを語る」でしてね。
玉 - ギャハハハ。ほっとんど覚えてないからなぁ。語れるかなぁ。
Tot - うん。だと思ったのでこの年表に沿って話を展開していこうと。
1989 名古屋から上京 可知良二(B)と
1990 HIPGELLO 結成 4人組 パブロック系?
1992 Key、Dr脱退 岩本憲治(Dr)加入 →トリオに
1993.06 1st 「12AX7A」
1995.11 2nd 「HIPGELLO」
1997 岩本脱退 高坂正雄(Dr)長谷川陽平(G)加入 →4人
1997.08 「withフリーボ」
1998.05 HIPGELLO 解散
1998.08 COMMONBILL 結成 村中靖愛(ps)海田亮(Dr)西山達郎(B)
2001.07 1st 「(この内容)C.O.A Sessions」 西山脱退 土佐有明加入
2002.07 土佐脱退
2002.10 2号加入
2002.11 2nd 「COMMONBILL」
2003.02 COMMONBILL 活動休止
2003.夏 SWINGING DOORS 結成
2004 BUCKETEERS 参加
2010 SWINGING DOORS脱退 赤い夕陽 結成
玉 - なるほど。(覗き込んで)えー・・・89年なんですね?僕が来てるのは。
Tot - ん~と、可知さんと。
玉 - なるほどぉ。
Tot - (笑) ってホントなんですかコレ?
玉 - あっホントですホントです。何年だったかちょっと曖昧だったんですけどこれでハッキリしました、ハイ!(笑)
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ずっと好きなのはジェームス藤木なのかもしれない(笑)。
Tot - これは学校出てすぐ、の上京になるんですか?
玉 - いや、高校を出て1~2年は向こうで活動してたんですよ。今池のライヴハウスに出たりして。
Tot - この、可知さんと。
玉 - そうそうそう。
Tot - それで二人で「よし東京行こうぜ!」、と。
玉 - そうそうそう。
Tot - バンドやる為に。
玉 - そうそうそう。
Tot - 熱いですねぇ~!(笑)
玉 - (笑)あついというかアホというか。最初はやっぱりビートルズなんですけどね。楽器を始めたのは中学2年生だったかな?可知くんじゃない別の友達がいて、そいつにビートルズを聴かせてもらったんですよ。で、最初はベースでしたね。ギターじゃなくて。なんかビートルズのカバーをしようってなって、配役があるじゃないですかやっぱ。で僕はポールだったんで。
Tot - あ、ポールになりたかったんだ?
玉 - いや別に(笑)。その友達がギターやってたんで、じゃ僕こっち、みたいな。
Tot - ああ、ジョンが。
玉 - そうそうそう(笑)。で、ほどなく別の友達からアコウスティック・ギターを貰って、ベースと平行してギターも弾いてたんですよ。それから高校行ってから、パンクにハマったんですね。ま、名古屋ですからね。スタークラブとか原爆オナニーズとか。ま、海外のも聴きましたけど。
Tot - ふ~ん。当時のフェイバリットは?
玉 - う~ん、僕は何聴いても1~2ヶ月で飽きちゃうんですよね。だからあまり長く深く好きってのは・・・いないですかねぇ。
Tot - じゃ、ここ1~2ヶ月ならどうです?
玉 - あ、それはクールス!この間ボックスセットを買ったんですよ。それでやっぱりジェームス藤木はすごいなぁって思いましたね。中学の時にもロックンロールリバイバルみたいのがあって、やっぱクールスとか色々入ってくるんですよね。だから、あ、そうか。中学の時からずっと好きなのはジェームス藤木なのかもしれないな!ギャハハハ!
Tot - (笑) で、パンク。何カバーしました?
玉 - 一番演ったのは初期のクラッシュですかねぇ。「セイフ・ヨーロピアン・ホーム」とか「ハマースミス」とか。僕はジョー・ストラマーやってましたね。歌ってるというかガナってたというか。
Tot - 当時は結構歌詞とか分からなかったでしょ?
玉 - そうですね。だからやっぱりいいかげんに。エーゴっぽく(笑)。
Tot - その頃の音源聴かせてくださいよ。
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ワタシのギターの音がどんどん大きくなっていって・・・(笑)
玉 - それがないんですよぉ!練習をテープに録ったりしてたんですけどねぇ。いつだったか確認したら他のメンバーもみんな捨てちゃったみたいで。それは自分でも聴きたかったですねぇ。カバーですけどきっと面白かったと思いますよ。
Tot - 文化祭とかで演ってたんですか?
玉 - いやいやちゃんとやるようになったのは高校も卒業してから。中学の時も友達の家でガチャガチャやってるだけでしたからね、ドラムもいなかったし。その今池のライヴハウスにちょこちょこ出したりして。
Tot - バンド名はどんなだったの?恥ずかしいのとかあります?
玉 - いやぁ覚えてないなぁ。恥ずかしいのとかだったら武勇伝みたいでいいんですけど、ホントに当たり障りないようなヤツだったと思いますねぇ。
Tot - ヒップゲローって、どういう意味なんです?
玉 - あ、あれね、僕歴史好きで、実は漢字なんですよ。匹夫下郎。
Tot - ホントぉ!
玉 - (笑)そうなんですよ。当時ね、グリーン・リバーってバンドがあって、そこのドラムのアレックスって人が来日してた んですよね。で、その人にスペルを当ててもらってね。「ただしこれはアメリカ人はヒップジェローって読むぞ」なんて言われてましたけど(笑)。おぅいいじゃん、イバニーズとアイバニーズの違いみたいだ、なんてね(笑)。まあ「ゲロー」って付くのがあまりキレイな語感じゃないんで、何度も変えようって思ってたんですけど、なんかそのままズルズル来ちゃった(笑)。
Tot - (笑)そんな名前でパブ・ロックっぽい音を出していたわけだ。さて92年にキーボードが抜け、ドラムが岩本憲治さんに代わります。結果、トリオ編成になるわけですけど、やっぱりこれで音楽性も変わって行ったんですか?
玉 - そうですね。割とライトなパブ・ロックをやっていたのが、その辺りで重厚な、ヘヴィーなスタイルに。
Tot - それはこの、岩本さんの存在が大きかった?
玉 - いや、(笑)えっとね、むしろワタシのギターの音がどんどん大きくなっていったのが・・・(笑)結局そうなるとね、鍵盤さんとかだんだん聴こえなくなってくるわけで・・・そういう問題もあったのではないかと(笑)。
Tot - なるほどね(笑)。さてそれから1年ちょっとして、いよいよアルバム製作に入るわけなのですが、これは本当の意味の自主制作じゃなくって、ちゃんと第三者がいるってことでしょ?
玉 - いますいます。オズ・ディスク っていうレーベルがありまして、田口史人さんという方が立ち上げて、まず第一弾で僕らともう一バンドをやってみましょうっていう話になりまして、確かMTRをスタジオに持ち込んだくらいの、そんなレベルのレコーディングでしたけど。そのあとは色々と、まあマネージャーみたいなこともしてくれましたね。
Tot - そのファーストアルバムの『12AX7A』。このタイトルはどういう意味なんですか?
玉 - これは当時僕の使ってたアンプの真空管。パワー管とプリ管ってのがありまして、そのプリ管の方の番号なんですよ。
Tot - 何か、これじゃなきゃ駄目なんだ、みたいな強い思いが・・・
玉 - じゃないんです、じゃないんです。ジャケットのデザインで真空管を使おうって話になんだかなりまして、じゃあタイトルも、くらいな。
Tot - 軽いな~!ことごとく期待が裏切られていくわ。
玉 - (笑)すいませんすいません。
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Tot - さて、セカンドを出したあと、ドラムの岩本さんが脱退してしまいます。
玉 - はい。憲治はずいぶん長くやってくれたんですよねぇ。それから高坂くんが後任で、そのあとしばらくしてからギターの長谷川くんが加入になります。
Tot - また4人に戻っちゃった。
玉 - うん。ただね、この長谷川くん って海外出張とかとても多い人だったんで、必ず毎回4人ってわけでもなかったんですよ。韓国で音楽の仕事してて、向こうでは中々有名らしいですよ今でも。
Tot - でも音量が果てしなく上がっていった玉川さんのギターと、どんな風にバランスを取っていったんでしょう?
玉 - あ、この頃はね、音楽的なことよりも、なんかこう、バンドの雰囲気を変えたかったというか。だから一人増えてワイワイ楽しく、みたいな感じかな?
Tot - ふ~ん。でも玉川さんそんな矢先に浮気しちゃいますね、フリーボと。
玉 - はい、しますね。
Tot - これは音の感触は明らかにヒップゲローでなく、コモンビル寄りになっていると思うんです。
玉 - そうですそうです。
Tot - もう気持ちが、こんなさらっとしたのをやりたいという風に傾いていたんでしょうか?
玉 - これ、そもそもはオズ・ディスクのコンピレーションを作った時に1曲だけフリーボと共演したんですね。で、それを聴いた別の方から、これを膨らませて別のものを作らないかってお話をいただいたんですよ。
Tot - あ、そういうことなの。なんかこの流れ見てると、いかにもフリーボとの出会いがヒップゲロー解散への布石になっている。なんてストーリーを作りたくなっちゃうんだけどな。
玉 - ですよね(笑)、そう思えますよね。でもこの時点ではヒップゲローはヒップゲローで面白いと思ってやってましたね。だからこそこれをゆっくり楽しんで出来たってのもあるかも、むしろ。
Tot - なるほどぉ。実際解散はこの1年くらい先なのかな?98年5月。
玉 - はい。まあ僕がもう出来なくなっちゃったんですよね。面白くなくなっちゃって。単純に、飽きちゃったんですね。
Tot - このあとのコモンビルは早いよね?5月解散で8月結成になってる。ある程度メンバーは決めてたんですか?
玉 - いや5月のライヴ終わるまでメンバー探しは一切していないですね。でも割と早く見つかりまして。
Tot - 村中(靖愛) さんもこの時初めて知り合うんだ?
玉 - そうです。ん~と、順番はどっちが先だったか分かんないですけど、当時、原さとし さんと同じ職場で、その職場の呑み会の時に、今度カントリーロックのバンドやりたいからって、何人かオススメのペダル・スティール奏者を書き出してもらったんですよ。でやっぱり年配の方が多くなっちゃうじゃないですか、そういう音楽なんで。その中で唯一僕と同世代だったのが村中くんだったんですよ。
Tot - (笑)原さんと同じ職場ってスゴイな!
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玉 - (笑)ま、当時ですけど。それで、練馬区民会館だったかな?ペダル・スティール・コンベンションなんてのが行われていましてね、それを観に行って。そしたらやっぱ年配者ばっかりで(笑)。その中で唯一若いのがやっぱ村中くん。オーバードライヴとかカマせてロックっぽいフレーズとか弾いちゃっててね、あ、もう彼しかいないなって。
Tot - 村中さんはその時玉川さんのこと知ってたの?
玉 - いや知らない知らない、全然。だから向こうからするとなんだコイツって思ったでしょうね(笑)。
Tot - でも、すんなり?
玉 - いやぁ最初はね、どうやって落とそうかと色々台詞とか考えてましてね。「いやぁ、ちょっとぉ~。」とか言われるかな、と思って。それで、「あの、カントリーロックのバンドをやろうと思うので、是非弾いて欲しいんですけど。」って結構丁重に下手に言ったんですよ。そしたら、あっさり「いっすよ。」って。ホントにあっさり(笑)。
Tot - (笑)それは何?セッション感覚でもあったってことかな?
玉 - うんそうでしょうね。普段の仕事もそんな感じですからね彼。
Tot - 村中さんはその当時からいわゆるプロ・ミュージシャンなんだ。
玉 - そうですそうです。
Tot - 他はどういう人達?海田(かいだ)さんと西山さん。
玉 - 海田クンは僕の名古屋時代の友人のバンドでドラム叩いてた。って直接の知り合いじゃなかったんですけどね。何度かライヴ観てていいドラマーだなぁとは思ってまして。西山クンは元々ヒップゲローを観に来てくれていたお客様。で、ライヴハウスで僕の電話番号聞き付けて連絡よこして来て、ライヴに誘われたんだか遊びに誘われたんだか。それですぐ仲良くなって。そんなのがキッカケですね。
Tot - で、このファースト・アルバム。
玉 - はい。
Tot - 『(この内容) C.O.A Sessions』。
何、このタイトル?
玉 - ぎゃっはっはっ!ひっどいですよねぇ。確かアメリカのハードコアバンドでバッド・ブレインズってのがいるんですけど、それのファーストなのかな?なんとかかんとかなんとかセッションズ(? )っていうんですよ。それを、ちょっと模倣したというか・・・。
C.O.Aっていうのはレーベルがコア・レコーズ だったんでそれをそのまま付けまして、まあ後付けでコミュニケーションなんとかかんとかとか付けられるだろうと思って(笑)。
Tot - う~ん・・・。それで、(この内容)は?
玉 - ぎゃっはっはっ!うん、(この内容)ですよね?そこですよね?・・・えーっと、あの~、タイトルどうしようって話になって、「いやこの内容でどういうタイトルつけるのかなぁ・・・」って、あっ!この内容だぁ!とか思って、ぎゃっはっはっ!
Tot - (笑)じゃあ考えてるようで実は全然考えてないんですね?しかも一貫して。
玉 - そうなんですよ!!結構深読みされることあるんですけど、結構、テキトーなんですよ!
Tot - まあアルバムだけじゃなくて曲のタイトルもね、「100人中99人」とか「描くのは」なんかポイントが妙で、実際の中身の歌詞もちょっとフツーじゃないところを突いてきますよね。すごくおもしろい。赤い夕陽であれほどダイレクトですっごく分かりやすい表現をしてくるのに較べて、まあ行ってみれば非常に分かりづらい。これも自然だったの?ヘンなことをやろうという意識ではなく。
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玉 - いや、多少考えてるところはありますよ。こうすれば面白くなるだろう、とか。でもこの辺の面白さを誰も喜んでくれなかった反動が今の赤い夕陽の分かりやすい方向への鞍替えに繋がってます、ね(笑)。
Tot - ファーストは僕も大好きで良く聴いてるんですけど、曲を書いてるのは玉川さんと西山さん半々?
玉 - 西山がいた頃は、彼を前面に出そうって感じだったので僕はあまり書いてないんですよ。え~っとコレとコレと・・・コレもか、あとコレだけです。あ、半分だな。なんだ西山あんまり書いてないな(笑)。
Tot - (笑)
玉 - 初恋の嵐っていうバンドを彼は元々メインでやってて、このファーストが出たあとにそろそろ向こうに本腰入れるって辞めることになったんです。で、そういった流れもあったんで、最初の頃は西山売り出し作戦的な意味合いもあったのかなコモンビルは僕的には。ヒップゲローでちょっと疲れちゃったってのもあったし。まあ気楽な感じでね。でまあ西山も初恋の嵐があるんだから色んな形で顔売っとけ、みたいな。
Tot - ステージでの立ち位置は?
玉 - あ、立ち位置は僕が真ん中でしたね。ペダル・スティールとベースが両脇で。
Tot - カバーもやってたんですか?
玉 - いやオリジナルだけですね。ヒップゲローの曲も演らなかったです。それで西山がいる時といなくなってからはまただいぶ曲調も変わりましたね。僕の中では別バンド的匂いがあるんですね、その、意識の中ではですけど。西山いなくなったからがんばろー、みたいに。
Tot - なるほど。さて2001年に西山さんが脱退して、土佐さんが入る。・・・けど翌年7月にはもう抜けてしまう。
玉 - ええ、まあ、色々とね(笑)、ありまして。
Tot - (笑)はい。で10月に2号?ですか?加入。
玉 - あ、その2号ってのはアレですよ。アサクラくんって、ほら、デキシーの、プーヤンですよ。
Tot - ええええっ?プーヤンがコモンビルだったんですか?
玉 - そーなんですよ。結構ここがレアなんですよ。ほんの一瞬なんですけど。このあと解散しちゃうんで。
Tot - でもプーヤンが入ってからセカンドでしょ?
玉 - いやいやレコーディングには参加してないんですよ。土佐くんが抜けてからレコーディングなんですけど、その時はサポートの方に弾いてもらったんですよね。
Tot - プーヤンって元々何やってたんですか、この前。
玉 - ・・・え~っとね、あの~・・・福島でお兄さんと・・・え~っ・・・すいません今酔っ払ってて名前が出てこない(笑)。あ、ブラウン・ノーズ だ!それでカーネーション の直枝さんのバックでベース弾いてたりもしてて、直枝さんに紹介してもらったんですよ。
Tot - なるほどぉ。そういう流れなんだ。
玉 - で、すぐ解散なんですよ。
Tot - 2003年2月。「活動休止」と。
玉 - いや、「解散」ですよちゃんと。あれ?「活動休止」になってるんだ。何かやると思ってたのかなぁ。
Tot - (笑)これはなんで?玉川さんが「辞めよう」と。
玉 - いやこれは村中くんが抜けたいって言い出したんですよ。まあスティール・ペダルじゃ看板じゃないですか。だからこれはもう無理かなって。
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Tot - え、でもこのあとすぐ・・・・
二人 - スウィンギング・ドアーズなんですよね(笑)
Tot - このあたりからようやく、徐々に僕のなんとなく知っている玉川さんの時代になってきます。
玉 - はい。
Tot - スウィンギング・ドアーズと、バケッティアーズ。
玉 - あ、実はですね、この間にもう一つバンドがあるんですよ。
Tot - ほう?
玉 - あの、シマちゃんがギターで、僕がアコギで、もう一人ウノくんっていうWベースの三人でカントリー・バンドをやってたんですよね。オリジナルとカバー半々で。で、それから村中くんに誘われてスウィンギング・ドアーズやり始めて、更にバケッティアーズに誘われて、結局カントリー・バンドが3つになっちゃって、このバンドはなくなっちゃうんですけど。
Tot - あ、その頃からの付き合いなんだ。
玉 - そうですね。コモンビルの時ですね。ウガンダとかも。バブルバス ってバンドで、サマンサズ・フェイヴァリット も同時進行でしたね。で、そのシマちゃんとのバンドが多分、1年か2年くらいかなぁ。
Tot - ネットで調べた中で出てきたんですけど、2004年10月18日に得三で「玉川裕高バンド」ってのが出演してるんですよね。
玉 - あ、そうですそうです。それがこのバンドです。名前もちゃんと決めなくて結構その場限りみたいな感じで。多分全部でライヴも5~6本くらいなんじゃないかなぁ。
Tot - あくまでもメインはスウィンギング・ドアーズであって、バケッティアーズも含めて他はいわゆるサイドワークとしての立ち位置だったということでいいですか?
玉 - そ~です、ね。
Tot - ・・・あ、そりゃそうか。みんなそうだ。
玉 - そうそうそう(笑)。みんな別にバンドがありました。
Tot - バケッティアーズ参加の経緯はどういう流れだったんですか?
玉 - 最初はエノさんから電話があったんですよ。何曲かゲストヴォーカルで歌ってくれって。トモコちゃんのアイデアだったのかエノさんだったのかは今分からないんですけど。たぶん両方だったんだと思うんですけど。
Tot - バケッティアーズ自体は元々あったんですよね?
玉 - そうです。マーボーさんが抜けてからしばらく何年か3人で活動してたと思うんですよ。で、3曲くらい歌ってって話になって、とりあえずスタジオ入って、で、そのまま全曲弾いちゃって、その週のライヴで全部出ちゃった(笑)。ぎゃっはっはっはっ。
Tot - (笑)じゃあその時期はマーボーさんとは一緒にやってないんだ。
玉 - ええ、やってないです。ごく最近のライヴで初めてですね。僕は元々マーボーさんのファンだったんで、The 88のライヴを観に行ったりはしてたんですけど。
Tot - なるほどね。で、メインのバンドであるスウィンギング・ドアーズを脱退するに至るってのは、やっぱ赤い夕陽があったから?赤い夕陽が今の玉川さんの中心にある、ということ?
玉 - そうです。最初はね、同時に出来るのかなーって思ってたんですけど、時間的にって言うよりは、エネルギー分配が明らかに赤い夕陽に行っちゃってるのに、その状態でスウィンギング・ドアーズ続けるのもどうかなって・・・。
Tot - 辞める時、モメました?
玉 - えっとねー。少なくとも僕の前ではメンバーはそういう顔はしなかったので、まあありがたいというか、助かりました。もしかしたら、アノヤロウってあったのかもしれないですけど(笑)、ホントに助かったというか、感謝はしてます。
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Tot - スウィンギング・ドアーズというと、正に、ど・カントリーですよね?
玉 - そうですね。ど・カントリー。
Tot - 抵抗ありませんでした?
玉 - あ、ないですないです。ま、好きなんで。
Tot - いや好きでもさ、ロックン・ロールだパンクだ、と来てて、コモンビルでもカントリーよりにはなってもまだ、カントリー・ロック的範疇でしょ?もっとオレにも弾かせろ~!とか自分の曲やりたい~!みたいな欲求は出なかったの?
玉 - いや、なかったですね。村中くんもいい曲書いていたし。
Tot - ・・・う~ん。
玉 - 結局この7年間って、ずっと英語のカントリーを演るわけじゃないですか?でもそれまで散々苦労してきてるわけですね、英語の譜割で日本語を乗せるってのはものすごくキツイんですけど、それでもがんばってがんばって、上手くデキター!って時には今度は歌詞が聴き取れない(笑)。で、そんなこんなでもういいや、英語でやっちゃえってのがこの期間だと思うんです。
Tot - あ、なるほど。
玉 - それで、オリジナルを作ろうと思ってももう、英語のメロディーやリズムに日本語をハメるって作業をもうしたくなかったんですよ。辛くって辛くって(笑)。ずーっと苦しかったんですよ。すごくイヤで。なっかなかハマんないし。
Tot - じゃあこのコモンビルのあとの何年かでスウィンギング・ドアーズやバケッティアーズでど・カントリーばかりってのはむしろ解放感があった?つまり日本語の苦しみを味合わなくて済むという・・・
玉 - そうですそうです!もちろんそれは自分の言語や詞ではないですけど、とりあえずこの苦しみからは解放されました。
Tot - この期間は曲書いていないんですか?
玉 - ええ、ほとんど書いてないです。たまにちょこっとやって、「ああ、まだ出来るからいいや」って。
Tot - 曲が貯まったから赤い夕陽なのではなくって、赤い夕陽の話が出てから曲を書き始めた?
玉 - えっとね、確かウガンダやシマちゃんからはずっと前からそんな話はあったんですよ。一緒にやろうよって。でもスウィンギング・ドアーズもすごくライヴの多いバンドだったし、僕もその頃はあまりオリジナルのイメージが出来なかったんで、多分1年くらいは何もなかったんじゃないかなぁ。
Tot - で、その後曲を書き始めて。
玉 - うん。でもやっぱ最初は上手くハメられなくって。洋楽っぽい曲だったんで。それがもうイヤで(笑)。で、ちょうどその頃は色々別件であまり頻繁にスタジオに入れなかったんですよ、運がいいのか悪いのか。で、その期間に僕が洋楽っぽいメロディーは止めよう、一旦捨てちゃった方がいいって思えるようになって、また頻繁にスタジオは入れるようになった時から、今の赤い夕陽のスタイルになっていったんですよ。
Tot - 最初にそういう曲を持って行った時の彼らの反応はどうでした?
玉 - まあ、最初はいきなりそんなド演歌風でもなかったんで、徐々に考えを伝えてって・・・。
Tot - じゃあ少しずつの悪ノリの延長に彼らもついて行った、みたいな。
玉 - そうそう。そうですね。で、演奏に関しては僕は完全におまかせしてるから。
Tot - 詞とメロディーはどっちが先なんです?
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玉 - メロディーが何小節か出来ると同時に歌詞の雰囲気がなんとなくあって、そこから膨らませて、あとでコード進行を付けるっていうスタイルですかね。
以前は歌詞も完全後付けだったんですけど、今はなんとなくのものが鼻歌の段階でありますね。まあ、そりゃそうですよね。昔はデタラメ英語で曲書いてましたからね。日本語は中々出てこないですよね。
Tot - 現実の体験が元になってることが多いの?
玉 - え~っと、半々ですね。今までは現実の体験に沿ったものが多かったんですけど、赤い夕陽になってからは割と虚構の世界を描くのもアリになってきました。すごく自由になりましたね。
Tot - 例えば、スーパースナッズやジャッキー&ザ・セドリックスは、日本語を選びませんでしたよね?最初っから選択肢としてなかったのか散々悩んだ末なのかは知りませんが、英語のメロディーには英語の言葉が乗っかって、という形を結果的に選んだ。これは、メロディーやリズムを最大限に活かそうとした結果、といってもいいと思うんです。
玉 - はい。
Tot - 言ってみれば桑田圭祐だって同じです。あくまで英語調のメロディーを活かすんです。その結果、英語なんだか日本語なんだかよく分からない歌詞になる。でも元のリズムはちゃんと生きてる。
片や玉川さん。英語(調)の曲に純粋な日本語を乗せることに今まで散々苦しんだ。これは勿論誰でもやっていることだろうけれども、で、その結果どうしたかというと、日本語の方を活かしちゃった。メロディーやリズムをいじっちゃった。
玉 - はい、それはね、まさしく僕がバケッティアーズやスウィンギング・ドアーズをやったがため、ってところがありますね。
トモコちゃん、エノッキー、村中くん。彼等を見てると、ホント、すごいんですよ。サマになっててカッコよくって、とても敵わないな、オレはあんな風になれないな、アメリカ人にはなれないな、なんて思いましてね。もうルックスにしても佇まいにしても行動にしても、ホントに彼らはすごくって。
う~ん、ホントに、彼らと一緒にやれたってのは、良かったですね~。すごく大きかったですねぇ。
Tot - バケッティアーズやスウィンギング・ドアーズが、赤い夕陽の大きな伏線になっていた、と。
玉 - そうです。未だに大きいですね。あの人たちはホントに天才なんで。
Tot - なっるほどねぇ。多分、これが今日一番聞きたかった質問なのかもしれなかった。あの対比の中でね、なんで一人違う、正反対の方向へ第一歩を踏み出したのかってね。
ところで赤い夕陽ってバンド名はどこから来たんです?
玉 - あれは三橋美智也の『赤い夕陽の故郷』っていう曲。それがちょっとウエスタン調のとってもいい曲で。はい。まあ最初は仮だったんですよ。それでイタリア語だスペイン語だ、とか考えてたんですけど、赤い夕陽以上のものがなかったんですよね。それで、そのまま。
Tot - 『Red Sails In The Sunset』なのかと思ってた。
玉 - うんまあ、それもないわけじゃないんですけど。
Tot - 赤い夕陽をやってる時に得られる開放感、達成感、高揚感ってのは、今までやってたバンドとは違う感触ってあるんでしょうか?何か特別感のような。
玉 - う~ん何て言うのかな。割と合わさってる感じなんですよね。ヒップゲローやコモンビルって、基本的に自分の曲をやってるわけですよね?自分で曲書いて、スタジオで聴かせてって。だから赤い夕陽でも自分で曲書いてるわけですから、そっちの流れに近いのかな?って思うんですけど、演奏している感じはバケッティアーズやスウィンギング・ドアーズに近いんですよ。
何ていうか・・・メンバーの人達に・・・
Tot - おまかせ?
玉 - そう、いや・・・う~ん、・・・「サジェストされる側」だ。その体質みたいなものがここで、バケッティアーズ、スウィンギング・ドアーズで作られてたっていうか。
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Tot - ヒップゲロー、コモンビルの頃は自分で曲書いて、アレンジも結構細かく自分で考えたりしていたんですか?
玉 - そうですね。でも今は曲を書いたあと、すぐこう考えちゃうんですね。「・・・あとはみんながなんとかしてくれるやろ」って(笑)。
このバンドでは、僕があんまりアレンジで口出した記憶がないですね。みんなで自然と、というか。ヘタするとコードも変わってたりしますし。大体シマちゃん中心に仕上げていくんですけど、僕は変な話、あんま何もしてない(笑)。
Tot - シマさんと言えばやっぱりあのギターなんですが。素晴らしいですよねあれは。
玉 - うんホンット素晴らしい。
Tot - この間アップしたのはちょうど二人のギターソロがあるやつなんですけど、二人のギターの対比も、まったく感じが違っててとても面白いと思います。玉川さんのギターってどこから来たものなんですか?スウィンギング・ドアーズのライヴ観てても思うんです。なんか単純なカントリー路線のギターじゃないですよね?
玉 - あのへんはねえ、ロバート・クワイン っていう、死んじゃった、ハゲのギタリストがいまして、リチャード・ヘル&ザ・ヴォイドイズとか、ルー・リードとも一時期一緒だったのか、ハゲの。
Tot - ・・・ハゲ。
玉 - はい。その人がすごく好きで、ロックンロールやジャズやカントリーの、すごくルーツ・ミュージックに根差した、けれども何かぶっ飛んでるギター、みたいな。その感じが僕は大好きで、だから多分すごく影響は受けてるのかなと思います。まあ聴くと全然違うんですけど、でもそんな風に演りたいなって思ってる時期があって、それがずっと残ってるんだと思います。
Tot - へえ~。なるほどぉ。
玉 - シマちゃんも最初はテレキャスのクリーントーンだったんですけどね、だんだん歪んできて、終いにストラトに変わりました(笑)。
Tot - (笑)っていうか玉川さんのギターは何なんですか?あのヘンテコギター。有名人は誰か使ってるの?
玉 - あ、あれね、ボー・ディドリーが使ってたんですね。あとZZトップのなんとかさん。
Tot - そうなんだ。で、何でアレなんですか?
玉 - いやぁやっぱりあんな感じの曲なんでギターはシャープな方がいいかなと思いまして。
Tot - えぇ?シャープかなぁあれ(笑)?
玉 - ぎゃっはっはっはっ。まああんまり深い意味はないんですけどね。あと僕がヒップゲローの時に使ってたギターと、アレ中身がまったく一緒なんですよ。
Tot - へぇ。
玉 - ピックアップも何も一緒なんで、まあ音のコントロールはしやすいというか。
Tot - ギターは何本持ってるんですか?
玉 - あれ入れて3本ですね。あとはスウィンギング・ドアーズで使ってた白のテレキャスと、バケッティアーズのアコギ。
Tot - コモンビルのアルバムでストリング・ベンダー使ってません?あれ玉川さんですよね?
玉 - ええ。第一期の頃にはやってました。
Tot - 止めちゃったの?
玉 - ええ。すぐ売りました。よく考えたら、ストリング・ベンダーってペダル・スティールのフレーズを模倣する・・・わけですよね?・・・でもペダル・スティール、いる。(笑)
Tot - (笑)いいなぁ。教えて下さいよ。
玉 - あー無理無理。もう全然弾けないですね。忘れちゃったし。ていうかギター自体もうダメ。全然アカンですわ。
次のページ。
Tot - アカンですわ(笑)。でも実は弾きまくる人でしょ、そもそも。ヒップゲローとかでも。
玉 - そうですね。調子に乗っちゃうと。
Tot - 弾く喜びっていうか、弾きまくってやったーどうだー!、とかギターヒーロー俺!、みたいな、そういう感覚は勿論あるわけですよね?
玉 - ん~、ないかな(笑)。このヒップゲローのときでも、結局ギタリストが見つからなくて、しょうがなくてやり始めたみたいなところがあって。ずっと募集はしてたんですよギター。まあ始めてみたら思ったよりギターが面白くなっちゃったんですけど。逆に歌がどうでもよくなっちゃって(笑)。最近ですよ、ちゃんと歌おうって気持ちになったのは(笑)。
Tot - 今はどうです?シマちゃん弾きすぎだよオレにもちょっとソロ弾かせて、なんて思ったりしません。
玉 - いやないですね。むしろシマちゃんここ弾いてって頼んで「イヤだ」って言われることの方が多いです。
Tot - 「イヤだ」(笑)
玉 - (笑)「俺も人の子」の後半ソロもそうですよ。「もうモタないからお願いします」って言ってるのに、「ダメ」って(笑)。
Tot - (笑)玉川さんってソロ志向はないの?例えば赤い夕陽の曲を弾き語りでやるとか。
玉 - あーまったくないですね。少なくとも今のところは。
Tot - でもきっとテリー島村グループもこのまんまじゃないですよね?いつか「そろそろ本職もやるか?」って3人が動き出しちゃう時が来ますよね多分。そしたらどうなっちゃうの?
玉 - ん~、僕はテリシマグループもすごく好きなんで、もしみんながそういう風になったら応援したいですね。元々僕の中で理想とするのは、彼等の中で、テリシマグループってのがずっとベースとして残ってるのがいいんですよね。シマちゃん達の表現の場の最後の何か、があってくれた方が安心して赤い夕陽も出来るんじゃないかなって。まあ僕も交通事故で死んじゃうかもしれないし(笑)。
Tot - (笑)じゃあさ、赤い夕陽と平行してでもいいんだけど、マモルさんみたいにね、バンドもやりつつ、その同じ曲を弾き語りでもやりつつ、とか。、
玉 - あーないですねぇ。そういう、ソロの欲求はまったくない、今のところは(笑)。まあ実際僕一人でやっても何にも出来ないんで(笑)。
Tot - そうなのかなぁ。面白いと思うんだけどなぁ。思いっきりシンプルにやってね。だって楽曲としても出来上がってるでしょ、「ひそかな願い」にしてもさ。それをあそこまでグワっと広げたテリシマグループはやっぱりスゴイねってのもありつつ、ホントの骨格の部分だけをじっくり聴かせるってのもさ、アリでしょ?例えばスモーキンブギとかでさ。
玉 - う~ん、ダメでしょうね。ぎゃっはっはっはっ。
Tot - (笑)あれぇ?今すっごい一生懸命語ったのにぃ。
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一番書きやすいスタイルが、たまたまああなったってだけです。
玉 - (笑)いやああんまり良くないでしょ。僕、バンド練習の前日にちょっと一人で入って録音してたりするんですよ。で、それを聴き直してもやっぱ、バンドが入ってこそっていう風に聴いてますもん。で、これ、単品は無理かなぁって(笑)。
Tot - そっかぁ。すっごい自己評価低いよね?
玉 - そっかな?あっはっはっはっ。
Tot - 今そういう、ソロでの出演を依頼されたら断るの?
玉 - うん断りますね。今日もレッドクロスでなんかイベントやってるんですけどね。それも・・・断りましたね。
Tot - えっ?あれ誘われたの?これがなかったら僕も観に行ってるはずなんですよ!うわ~もったいないなぁ。今日あれですもんね?(かみぬま)ゆうたろうと・・・
玉 - そうそうあと無頼庵と。元々シマちゃんとウガンダに会ったのはその堀内くん(無頼庵)のバンドの時なんですよね。だから彼とは付き合い長いんですよ。
Tot - えぇ?どういうこと?よくわかんない。シマさん達と無頼庵さんが一緒のバンドだったの?
玉 - そうそう。それがバブルバスなんですよ。(こっちの驚きは軽くスルーして)で、そのソロの話ですけどね、僕、コモンビル解散したあとに何回か弾き語りで演ってるんですよ。でもねぇ、なんか、重くって。だからもう無理。
Tot - 重い?
玉 - うんなんか、重くって。
Tot - よくわかんないけどじゃあ二人でもいいじゃない?
玉 - いや実は二人もやったんですよ。それがどうも、重くって(笑)。っていうかこの間のペンギンハウスの時、タクちゃんとウガンダが仕事だったんで、じゃあオレたちはリハなしにしよう!ってなってたんですよ。でも当日、せめてギターさんとヴォーカルさんだけでもって話になったんですよね。そしたらそこに居合わせたオノロンが、「いやダメだよ。流しになっちゃうよ」って(笑)。
Tot - (笑)
玉 - それがもうおかしくっておかしくって。2~3日ずっと思い出し笑いしてましたよ。
Tot - でも本来、演歌がどうのこうのっていうバンドじゃないですよね?赤い夕陽って。
玉 - じゃないですじゃないです。
Tot - 外から見た時の印象で、表現としては演歌って言葉を使うかもしれないけど、たまたまそれはそうなったってだけで、歌いたいものを歌いたい形で歌ったということだけの話ですよね?元々は。
玉 - (声を裏返して)まったくその通り。さすがトットちゃん分かってくれてる。これ分かってくれる人いるだけでもめっちゃ嬉しいですわ~。そうなんです。別にそれをコンセプトとして押しだそうってことでもないんです。一番僕が歌詞を書きやすいスタイルをメロディーに乗せてみたら、たまたまああなったってだけです。
Tot - ですね。
玉 - あと、今まで拘ってきたロックンロールだなんだって言うのは、別に僕が意識しなくてもシマちゃん達が全部やってくれるだろうし、まあほっといてもそうなるから、多分。
Tot - ですね。自然とね。多分、玉川さんがそういう言葉を使うのが好きな人だったら、「これこそがオレのロックンロール」なんて言い方をするかもしれないし。
玉 - そです、そです。もうまさしくその通り。
(ここで二人して長時間のトイレ休憩。テープは回りっぱなしで隣のテーブルのOL愚痴話を延々と収録。)
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Tot - ・・・じゃもうそろそろ、僕ら呂律も足元もそうとう怪しくなってきてますので、最後に次回のレッドクロスでのライヴへの意気込みをお願いします。まあそれを聞いた所でこれをアップするのはライヴがとっくに終わったころなんですけど。
玉 - (笑)はい、じゃあ、そうですね、まあ、ちょっと、がんばろうかな、と。
Tot - ちょっと、なんですか(笑)?
玉 - いや僕は普段から頑張るのが嫌いな人間でして、絶対頑張らないんですよホント。だからこれ、ちょっとがんばるってのは、結構すごいことでして。ぎゃっはっはっはっ。
Tot - じゃいいやもうそれで。
玉 - ぎゃっはっはっはっ。すみませんすみません。
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ホントに、謙虚な人。ステージ上でも、MCはひたすら腰低いし。でも、それだけの人だったらあんな曲は書かないだろうな、とも思う。どこかひねくれてて、どこか達観しちゃってるところがある。だからきっと自分がどう見られているのかもしっかり把握したうえでコントロールを効かせているんだろうな。そこを突き破ってみたいという思いがほのかにあったのだけど、ちょっとそれは曖昧に終わってしまったかな、と反省。途中で完全に楽しさに溺れてしまいました。
合計3時間くらい、ほとんど食べずにひたすらひたすらビールを呑み続けていた。二人とも弱いはずなのに、すっかり自制心を失っていたようだ。テープの後半は、二人とも呂律が回っていないどころか、話すら全然まとまっていないのに、思いつくままどんどん別の話題へ飛びまくってて、互いにそれに気付いていない始末。挙句の果てにタマガワさん寝ちゃうし。それを起こしてからまた別話題振っちゃうし。
で、よせばいいのに、素直に帰ればいいのにレッドクロスに行っちゃうし。ちょうどライヴが終わった頃に入ったらかみぬまゆうたろう怒っちゃうし。イカリさんにもいわれのない説教されちゃうし。遠くをみたらタマガワさんは無頼庵にいじられまくってるし。
いやはや、おつかれさまでした。ありがとうございました。
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